2022年1月6日(木)

朝曇り。6:45分出発、小田原へ出て、8:07ひかり633号乗車。10:12京都着。
東本願寺、念珠屋、そしてこの5月妻が引率する修学旅行の宿の確認を終えて、予定していた山陰線に向かおうとすると遅延情報、急遽バスで仁和寺へ向かうことにする。

それぞれにスーツケースを転がして寝不足ふたりごろごろとゆく

小田原よりまづ新幹線に乗り込んで妻とふたりの奈良旅はじまる

コーヒーにサンドイッチの朝食に右手の富士は曇りて見えず

本願寺御用達を謳ふ念珠店硝子扉ひらけば京ことば迎ふ

仁和寺までは小一時間、乗り合いバスに揺られ、結局帰りも同じルートで京都駅へ。
仁和寺門前のうどん屋で天ぷらうどんを食す。店内は寒かったけれど関西のうどんはうまかった。

関西のうどんを味をたのしめば冷えしこころもあたたかくなる

仁和寺の法師の烏滸(をこ)のものがたりこの地に立てば親しきものか

仁和寺に御室ざくらの咲くころは烏滸の法師もはなやぎてゐむ

それにしても『徒然草』は、仁和寺僧の失敗譚をなぜ三つものせているのだろう。何か図るものがあるのだろうか。

15時過ぎ、近鉄特急で奈良へ。春日ホテル泊。
夜は大和鶏を食わせる店で春鹿を少し。

大和鶏のたたきに奈良の酒をのむ妻とふたりの至極の時なり

夕焼けのぬくもり残す奈良の空古きみやこの暮れてゆくなり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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