2021年8月1日(日)

八朔である。稲の育ちは上々に見える。上野の森に妻と「聖徳太子と法隆寺」、「国宝 聖林寺十一面観音――三輪山信仰のみほとけ」を観てきた。いやぁ、暑かったが、行ってよかった。聖林寺の十一面観音に出逢ったのは大学一年のとき、まだガラスケースもなかった。間近に一人で見上げていた。圧倒されるほどの厳しさを感じた。それから何度訪れただろう。まさか東京で出会えるときがあるとは思ってもみなかった。

  照り葉木の()(むら)をこぼれ腕をやく夏のひかりの暑し、暑し

  脳髄も灼かれて大和法隆寺の諸仏に出逢ふ仏の背にも

  大国主大神木像に手を合はす神秘の像の愛らしくして

  聖林寺十一面観音像の表情の厳しさ東京を厭ひたまふか

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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