2021年6月19日(土)

梅雨の雨が朝からつづく。妻の夢の今朝の主人公は私であったという。なんとパリを訪れていたそうだ。奥本大三郎『ランボーはなぜ詩を棄てたのか』を読んでいたからだろうか。妻は私の魂がパリの街をさまよいたがてっていることを察知していたのだろうか。ちょっと怖い話である。

  ふりやまぬ雨に佇む傘の内ふるさとなければ流れゆくなり

  若きランボーの魂を追ひパリの街へわが老魂もさすらひゆくか

  雨ふれば沙羅の木濡れて色つぽい

  太宰忌の雨しとしととふりやまず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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