歌一覧(2024年)

2024年1月1日(月)

千両、万両の珠実のあまた赤き色いのりのごとくこの世ことほげ

めでたき正月の朝にやうやうに雲古ひねり出す縁起よきかな

若水は浄水にして、奥能登の真塩に、山形つや姫供ふ

能登(のとの)(くに)を襲ふ地震に津波被害ああこの国の崩壊またも

夷狄の君主、中国の君主に及ばざる断定したるは孔子なるゆゑ

冷泉為相の母は阿仏尼なり弟為守は浄土宗に帰依す

1月2日(火)

能登の地を高き波濤の襲ふときこの地も揺るる震度三なり

能登の家群に土煙あがる地の揺れの映像に怖るる曾遊の土地

睦月一日午後四時過ぎに幾たびも激しく地を揺する大地震(なゐ)ありき

泰山を軽くみなすと碌なことにならざるものよ李氏さけるべし

伏見院御消息こそは枯木のやう真似るべきにあらず美しくなく

1月3日(水)

不可知、不可触のもののけの一つかわれもしわくちゃやの老い

めでたきか能登の地震に航空機接触二日つづけて災害起こる

蟾蜍の冬眠を思ふ土のなかに夢みてゐるか溟き乾坤

君子は争はぬものしかるにも弓を争ふのちに酒汲む

人麻呂はこの世に神のごとくして幾度もあらはる復活の神

1月4日(木)

この世のことおほかた忘れ土中より這ひだしてくる蟾蜍(ひき)のごとくに

われもまた冬眠をする生き物かしづかにしづかに時過ごしけり

朝に三錠薬を服しこの世から去り難くゐる老い人われが

わが詩魂を啓発するは子夏ならむともに語らむ『詩経』のあれこれ

歌会の季節の題は遠慮するな誰しもが受けねばならぬ役なり

1月5日(金)

西風に煽られて動くわがからだ老いなれば痩せ貧弱きはまる

強風はわれらをなぶる木をなぶる枯れ枝なぶる川までの径

天上に大風あれば雲もなしこの青天の心地よきかな

文献の足らざればその国の礼語れず足らばすなはちよく語らむか

万葉集を読む時たいさう役に立つ仙覚あらはす新注釈を

1月6日(土)

死んでもいいと思ひてゐしはわれのみか親しきひとの顔がとりまく

中有(ちゆうう)をさまよふもののけおそらくは(おの)がこころの鬼が化したる

死の後の世界があると信じたる『失われた時を求めて』床に落ちたり

てのひらを指して物言ふ孔子の(げん)かつこうよしとわれは思へり

雅経は五人の選者に加はれど記録や文書残すことなし

1月7日(日)

わがままなる癌細胞が小脳に居坐ればままならぬことば、歩みも

三度目の悪性リンパ腫これまででもっとも重き小脳を侵す

みづからが書き記すメモ読み難く判読不可能なる文字(もんじ)も雑ざる

黒黍の酒、地にそそぐ(まつり)終へそれより後は観るを欲せず

『新拾遺和歌集』の撰者(ため)(あきら)死し頓阿に変はる証拠あるべし

1月8日(月)

(かな)(がひ)に七草もどきの粥を食ふ老いはふはふ熱きを吹きて

さねさし歌日録の三年分二八五ページよく書き溜めし

災害と事故と戦乱のニュースばかりこの世はかくも渾沌として

祭に与らざれば祭なし孔子の言のさてかくあるか

かにかくに二条家の門弟の扱いを受けしが懐紙に書くときは違ふ

1月9日(火)

もの喰へば水洟下垂る老耄なりティシュ幾枚も手に握りをり

後朝の空には細き月明かり宵の明星とともにあかるき

あやまちを怖れるな若きともどちよ過ちを恥づるな乗りこえてゆけ

孔子の真骨頂か権力をはねのけて言ふ正しきことば

意識することはなけれど平頭病、声韻病とて(かしら)()かんがふ

1月10日(水)

(なま)(ごみ)の袋を閉づるわが背中(せな)のまるくなる老いは妖怪のたぐひ

三日間のわが家の芥をぶら提げてふらふら歩む集積場まで

どことなく湿っぽくしてほの暗きゴミ集積場居心地悪しき

周の文化、夏と殷とを考えて郁郁乎(いくいくこ)として周に従ふ

1月11日(木)

曇り空は寒げに明くるだんだんに周囲(めぐり)あかるく木々も目覚むる

『テロルの昭和史』を読む殺伐としたる時代はかくも無惨

昭和初期のテロルの時代暴力のかくうつくしき時代のありや

周公の廟にて礼を問ひしこと子どもの嗜み是れ礼といふ

「中の衣」をいかやうに読むかに答へたる正徹なかなか手厳しきなり

1月12日(金)

この夜をば夢にさめざめ冷たき雨すがた濡れたり馬上のわれは

馬上にて鞍馬天狗の姿(なり)をして京の寺町駆けぬけてゆく

鐘の音間近に聞こゆ鞭ふれど馬は(なみ)(あし)耳傾ける

古への道とは申す射は皮を主とせずそれぞれに学ぶがよろし

後朝(きぬぎぬ)の別れゆくとも思ひ残るかく行末もいのちならずや

1月13日(土)

茶碗にはほのぼの湯気の立ちのぼる冬の麦茶の芳しきもの

冬の麦茶かんばしくして沸かしたり薬缶が踊る、叫ぶミネラル

麦茶喫ししばしを過ごすなにげなさこの無為こそが至福のときなり

生贄の羊を惜しむ子貢に向き孔子は礼を惜しむと言へり

臍にとほりていたらざる人ほか人の歌読むことも叶はざりけり

1月14日(日)

横断歩道ゆつくり越へてすぐ近くのスーパーへ行く冒険のごとく

二車線の片側あゆむ老人に警笛鳴らし追越す自動車(くるま)

冬の日の遅れがちなる足弱も買物に出かける心ぶぎうぎ

君に礼を尽くせばそれを諂ひと後ろ指さす人また居りき

渡りかね夕べにたどる雲の色架け橋立ててゆくべきところ

1月15日(月)

ペットボトルから茶碗にお茶を移しをり冬の夜中のあやしきその音

湿りもつ音が真夜中にしたたるは茶碗の内なり深く響けり

朝に晩に薬を含むを忘れずに日々生きてゐるどことなく疚し

魯の国の定公と対話する孔子先生楽しからずや生き生きとして

己が身はかはらざれども一年前逢にしひとの今いかにせん

1月16日(火)

憂鬱なりこの国の未来を想ふときジンタ、ジンタッタ楽団がゆく

世の中にはもの知り人があまたゐるたとへば片山杜秀の如

おつかなびつくりくらやみをゆくおいほれのゆくすゑとへば便所(トイレ)とこたふ

『詩経』の関雎は楽しみて淫するなく哀しむときも(やぶ)ることなし

森の葉も秋にしなれば身をかへぬ幾程あらむたのむぞはかなき

1月17日(水)

己が身の軽佻浮薄かるがるとこの世からあの世へ(こみち)のあらむ

このままに暗きに墜つる妄想に游ぶがごとし宙吊りのわれ

崖の果てに墜つるがごとき捨身往生われには無理か断崖に佇つ

宰我のことば過ぎたるは咎めずして孔子は二度と失策を許さぬ

定家の集にある難しさを真似せんか正徹のすすむべき道歩むなり

1月18日(木)

冬晴れの日の清らかさ風吹けばあつけらかんと天に雲なし

海やまのあひだに暮すこの国の常凡の人らを災害襲ふ

室内に直さす日ざし冬なれば傾きて長くわが足にとどく

管仲の器小なり礼を知らず君主のごときふるまひ暮らす

初心のほどは颯々と詠むべきなり本歌を取ることにも慎重であれ

1月19日(金)

リビングの椅子に座りて足もとにとどく日の影踏みしめてゐる

われもまた侘人ならむ閑居してしづかに過す足弱にして

わが眼鏡かつてにがさごそうごくらし昨夜の場所と置き場所違ふ

楽を語る孔子先生たのしげなり翕如(きゅうじょ)純如(じゅんじょ)皦如(きょうじょ)繹如(えきじょ)そして成る 字余り

正徹は古今和歌集を本歌として数を限りてあまり評せず

1月20日(土)

まぼろしの国まぼろしの城砦に王女となりて国見する夢

裾ながくひきて回廊をめぐりゆく黄熟色のたゆたふところ

薄桃色のこの幻の国をめぐる馬上に揺られ王女なりわれ

天下に道なきや久し。かにかくに夫子を以て木鐸とせむ

歌の道の上手になるはよく解し努力をするべし意を案ずべし

1月21日(日)

近眼、遠視(こん)ずる眼鏡を卓上に外して置けば動きはじめる

わが眼鏡かつてにごそごそ動くらし深夜の卓上を左へ右へ

卓上に痕跡のこるわが眼鏡遠いところに留金がある

平和裏に受けつぐ(しょう)の音楽の美善ととのふその佳さを説く

さくら花は吉野の山なりおのづから大和国に存すとぞ知る

1月22日(月)

老いらくのたしかに来むと思へるはでこぼこの径にふらつく歩み

いつしかに千年()るかこのいのち呆けて惚けて翁の体に

今日の朝はつぶれたカレーパンを召し上がる妻の機嫌の少しよささう

上に居て寛容ならず慎しまぬ葬儀に哀の心なきもの

一生秋の夕暮れを喜ばむ正徹よこの世の憂さを逃れて

1月23日(火)

朝四錠、夕べ一錠、寝る前六錠これらの薬剤老いを支ふる

給湯器にあたたかな水が蛇口より零れるごとく皿、椀濡らす

水仕事にその人柄がでるものか妻は豪快、わたしは小心

仁に里るをよしとするなり孔子語る仁なきものは知もなきなり

為兼は葛城の神と同じもの容貌魁偉恥ぢて夜に生く

1月24日(水)

セクシャルなことも赤裸々にしるしたり「若者」「男」この暴れん坊

ぷくりぷくり乳房のたかぶり淫楽のはてに誘ふ小説である

時を経てなほもかがやく戦中の詩人たちの肖像わが生を打つ

不仁者と仁者・知者との違ひ言ふ孔子明瞭なり「仁」こそ肝要

この時代の歌にとりては題が大事題にたがはず詠むべきものを

1月25日(木)

歩みゆき横町を折れふりかへるここは何処迷宮のさなかにあらむ

茫然と立ち尽くすは老いのわが身なり冬の風寒きけさの舗道に

あたたかきペットボトルのお茶を買ひ心たのしも歩みはずみて

仁者のみよく人を好みそして同様によく人を悪む

郭公の鳴き声まれなり初夏にせよ晩夏にしても一声つれなし

1月26日(金)

飛行機雲のびゆく空に応じたるごときからだのわくわく動く

いにし世の大き御寺を彩れる多様多彩な土製器残る

大安寺のタイルのごとき砕片を写しゆくこの愉しき時よ

苟に仁を目ざせば悪しきことなくて円満なる世ぞ来たりける

雑の題に歌を詠むには最初から特定の季節を詠むまじきこと

1月27日(土)

白煙の傾きて立つ三川合流域風あるらしき北からの風

白煙の立ち昇る工場を輝かす朝のひかりあり冬ざれの景

今朝もまた残りの月のかがやきに山際あかるく冬の木の山

君子とは食事のあひだも造次にも顛沛にても仁を離れず

月の題にて「山月」に「長月の有明」と詠むもってのほかなり

1月28日(日)

紅梅、白梅咲く地のありて春めけるさがみの国に笑ひほころぶ

緑色に黄色と茶色、さらに橙色使ふ古代のタイルのごとき切片

西の京、奈良大安寺の古きタイル写しつつわれもいにしへの人

仁を為すも不仁を悪むもわれいまだ見ることかなはず仁は難し

上手達者の詠みてになるにはいかようなる努力をすればよきものならむ

1月29日(月)

ラピスラズリ色の硝子破片いにしへ人の祈りの色なり

大安寺に残るほとけの表情のやさしきはこの寺なればこそ

今朝もまた暁闇に残る月の色あかるくて西の連山照らす

過ちには人の(たぐひ)に於いてする過ち見れば「仁」か判る

蓮葉の八千本といふ歌ありぬ正徹の作かわからざりけり

1月30日(火)

妄言をテレビにまたも聴かされて政治家の議論かるがるしきや

わたくしが呆けてゐるのか的外れの宰相の答弁かるがるしきや

この世の国の会議のむなしさを誰が知るべきや妄言のたぐひ

朝に道を聞きてはその夕べあへて死ぬとも覚悟してをり

夏越の茅の輪くぐりを詠みたらん正徹の歌平凡なりき

1月31日(水)

つぶあんとこしあんんの二つから好みを選べ二つのぼた餅

どら焼きを頬張るときのしあわせを人には告げず独りに味あふ

どら焼きから餡がこぼるる時あらむこの満ちたりた時間(とき)もてあます

士、道に志を立てたれば悪衣悪食を怖れてはならず

消えぬも咲ける夕顔の花を消えぬや咲けるにしてみるとこの歌たちまち台なしになる

2月1日(木)

片山杜秀のコラム・エッセイに読み耽る音楽・芸能に堪能なりき

歴史から読みとる未来 明治から大正、昭和へ自在なり筆致は

「夏裘冬扇」題たのし季節外れを綴るエッセイ

君子が天下に於けるは「適」もなく「莫」もなし「義」これに親しむ

「かこちがほ」「うらみがほ」は悪くして「ぬるるがほ」「しらずがほ」よきはなにゆゑならむ

2月2日(金)

冬寒き今日は一日本を読み色鉛筆画に力尽くせり

リハビリに貰ふ宿題の白川郷色付けてゆく町の風景

合掌造りの藁屋根の絵に色乗せてカラフルすぎるかたのしき暮らし

なんとなく屈託あればベランダに伸びをしてみる発疹の腕に

甘きもの欲すればどら焼き小豆餡甘すぎれば渋き茶を喫したり

君子は徳を小人は土地を、さらに言ふ君子は景を小人は恵なり

あはれなると使へばよきもの浪や水のあはれと詠めば物に似たり

2月3日(土)

悪性リンパ腫の最後の治療全身真っ赤な副作用あり

豆を撒く妻に追はれてしおしおと外へ出ていく赤鬼ぞわれ

服はうち、鬼は外へと豆に打たれ外は寒きぞ如月三日

利に()りて行なへば怨み多くして礼譲なくば国治まらず

2月4日(日)

インドリダソンのミステリを読むこころに昂ぶりのあるこの数日なり

なかなかに捜査もすすまずじれったくなったところに結末がくる

主人公の幼き頃のとりかへしなき弟とのかかわりも語る

礼譲を以て政治をなさざれば礼の定めも役に立たず

2月5日(月)

愛媛県産の小さな蜜柑を食べたり小房に分けて甘き汁啜り

蜜柑のエキスに甘さあり皮剥くときにに匂ひくるなり

往にし世のわらべも食ひて笑顔になる小さな蜜柑、極上の甘さ

地位を求め、また認められたいと思ふことこれらは駄目だ謙虚であるべし

「ますらを」の「を」は「を」であるべし近頃はなぜ「お」と書くか判別し難し

2月6日(火)

雪降れば町しづかなり瓦屋根に白く積もれる雪の暈あり

県道の降雪は溶けて往く自動車(くるま)来る自動車(くるま)さも不自由ならず

傘さしてゆつくり進む老いわれを追越し無笠にふりむく旅人

わが道は一に貫く忠と恕に他ならず孔子、曾子にのたまふ

恋歌は女流歌人の歌がよし通具、良経などにもおもひよりがたし

2月7日(水)

土鍋には鮭が三切、大根、葱、人参に味噌を入れ沸騰を待つ

卓上にガス台を置き鍋つくるこのあたたかさ楽しきろかも

箸のばし鮭、大根に人参のやはらかなりしを器に移す

小人は利益に明るいばかりなり利益に走るを蔑するっべきか

あはれなる心の長さ誰が知る訪ふなれば訪へ今宵のうちに

2月8日(木)

真夜中にペットボトルのお茶をのむ口あけて飲むペットボトルの茶

ふらふらりあかりすくなき室内をトイレまでゆく距離のはてなし

ぺレキシブル錠の副作用やうやく治まるか右足の赤き発疹消ゆる

賢を見ては同じにならむ不賢を見てはわれとわがこころに内省すべし

今の世もあはれ知る友すくなくてせんかたなくて秋の夜ねむる

2月9日(金)

自動車の行き来はげしき県道を見てゐて信号機赤色長し

駅近きローソンを過ぎ小田急線に一駅乗車す書店に行きたし

右に左にふらつきながら駅からの道、警察小説二冊を胸に

父母につかへてつねに敬しなにがあつても怨まない非常に難き

雪ふれば山に奥なしあらはなり浅くなりしも興あるものぞ

2月10日(土)

雪の夜にこさへたるかもぶさいくなる雪だるま朝のひかりに笑ふ

雪の奥にこちらを向いて笑ひかけるわらべのごとし小さき達磨

遠山の尾根のくぼみに雪白し山のおほかた白き(まだら)

父も母も元気でいれば遠く往かず遊ぶにも破目をはづすことなし

魂はかくも簡単に袖に憑くものかと思ふ憑くならばよろし

2月11日(日)

ぼんぼんぼろんぼんぼろん朱の盤あまた鳴らして山伏

泉鏡花の真か不可思議な小説をねぶるやうに読む如月はじめ

浮草は思案のほかの誘い水勺してうれし一献二献

父死して三年のあひだやり方を変へねば孝かたやすく思ふが

鶴殿は光明峯寺殿の子なりけり月輪基賢の先祖に候

2月12日(月)

さくら餅を三つ贖ひ帰り来し妻がはこべる春もあるべし

目の前の卓上に在る桜餅見ているがけで餡の味する

さくら餅のさくら葉を喰ふか食はぬか大問題なり

父母の年齢は覚えておくべきなり長寿を喜び老い先気づかうふ

詞と内容そのままに本歌に依拠する家隆の歌

定家には工夫があつて本歌の心を取りて詠むことはなし

2月13日(火)

沖田総司と芹沢鴨の心処の交流描きをもしろきかな

晴れても曇っても雨がふっても餡の入る和菓子を好むどら焼きを喰ふ

一日にひとつは餡の入る菓子を頬張る老いの愉しみならむ

つぶ餡の甘さをよろこぶわれがゐる若き頃には餡うけつけず

古者が言を出ださざるは実践がともなはぬことを恥じたるがゆゑ

薀蓄を語りし正徹のことばなりかにかくに簡潔なるもここちよきかな

2月14日(火)

我が家より北のローソン遠からずひひらぎの垣つらなる路を

水仕事に懸命なればトイレ近しこれまた老いの証しなるべし

大坂の三十三か寺観音めぐり道行長しおはつ徳兵衛

孔子のたまふ「約を以てこれを失する者鮮なし」当然といへば当然なりき

正徹には『新古今集』が絶対なりその撰者を誰一人忘れてはならず

2月15日(木)

かちゃかちゃと軽き音たて洗ひ籠まづ空にする朝一番に

きのふ使ひし急須、茶碗を洗ひゆく洗剤少し泡立てながら

瓶、缶の音をたのしみ木曜のゴミ捨て場までふらりふらりと

言ふは易く、行ふは難し明瞭に言へどもこのことむづかしきもの

旧訓を得意げに説く正徹なりまったく違ふあたらしき訓み

キッチンのボウルに(ひた)菠薐(はうれん)(さう)(あけ)の根の色乳首のごとし

病むからすほがらほがらに西へ()す。神々(かうがう)しきよ夕照りの山

もも色に夕べ滅びの色を観てこの空のもと滅びむもよし

2月16日(金)

春一番吹く日は南の窓が鳴る破れさうな音がたがた鳴りつ

原稿を書くため雑誌の山崩すそしていろいろネットを探る

マンションの屋上高く白鷺の群れ五羽をかぞへる西の段丘へ

得なせば孤りではない必ずや親しきものが蒐まりてくる

藪し分かぬ春のひかりに石上布留の社の庭に花咲く

2月17日(土)

寝床にてまづ恒例の手を開き、閉ぢて二十回腕上げながら

膝に足を置いて上下す十回づつ両脚終れば腕立て十回

腕まはし、頸まはし両脚伸ばしたり二十を数ふ寝床より立つ

主君や友にうるさくすれば嫌われる当然ならむ適度が大事

霜のふりはいかがなるらん妹と寝てのあさぼらけいかにか寒し

2月18日(水)

寝床より起きだし椅子に左、右足上げ下げて二十回踏む

壁に対し爪先立ちを十回と脛を伸ばして二十回

最後には机にすがりスクワット腰を下ろして十回数ふ

縲紲(るいせつ)の人にはあれど公冶(こうや)(ちょう)妻どりすべしその娘を合はす

いづれの歌か「いともかしこし」といふ語あり「賢」にはあらずいと恐れあり

2月19日(月)

公安の横暴を怒る警察小説柚月裕子の二冊を読み終ふ

『朽ちないサクラ』『月下のサクラ』いづれにも森口泉の懸命がよし

ときじくの香の菓を常世から持ちかへりたる橘の果を

南容の妻に兄の娘をめあはせたり孔子は一族を堅強にせむ

寒草は葦にはあらず違へてはならず寒葦がある

2月20日(火)

室内をあれこれ廻り三百歩椅子を仕舞ひてマスクをつかむ

廊下に出て七百かぞへ歩きゆく階段十階へまた八階へ

午前も午後も七百歩かぞへ階段を一歩一歩上り下りする

子賤について君子なるかなといふ孔子、公冶長、南容に次いで褒めたり

歳暮には晦日以前を詠みてよしされど九月尽はかならず晦日

2月21日(水)

セーターのくらやみの内に目をひらくトックリの首のさきそこは浄土

とうりゃんせとうりゃんせこの細道を歩みゆくこの世とあの世の境を歩く

この身冬の雨に濡れたる冷たさに心地よきかな微熱のあれば

子貢が聞く賜はいかがさすれば瑚璉なりと孔子が答ふ

さらぬだに別るる恋もありぬべし永遠にと歎く昔男は

2月22日(木)

紙やすりに木の裏側をけづりゆくごとくにたましひの傷つけられぬ

ざわりざわりわがたましひを紙やすりに撫でられ反骨の地のあらはるる

一巻の絵巻のごとき人生を誰も彼も持つこの世のあはれ

仁こそが肝要ならむ佞を用ひ弁立つことは二の次のこと

庭の題にて軒を詠む軒は軒なり建物そのもの

2月23日(金)

不可思議はこの小説に死ににける二人と作者のつながりあらず

鳥の羽根の頻りにふりくる舞台には誰も彼も見えず死ぬ二人なり

白ならぬ汚れて灰色の羽根ふり()天からふり()死にし二人に

漆雕(しっつちょう)(かい)のごとくに謙虚であることを孔子はよろこぶ慎重さゆゑか

本歌に二首をとりこむ歌多しいくらもあると正徹言ひき  

2月24日(土)

丹沢山塊うしろの山々白くしてこの二、三日雪降るらしき

今日もまた朝から寒い日なれども太陽昇る心地よきなり

今朝の生ゴミ少なきに事に驚くわれ否、否これは喜ぶべきなり

(いかだ)、海に浮かべていづこへ流れゆく孔子とともに子路もゆくなり

俊成も定家も住吉明神に参籠したり託宣を得る

2月25日(日)

小野一助、二助、三五郎そして小町の奇妙なる生活

尾崎翠が昭和の初期に描く小説奇妙なれども凄きぞこれは

いつのまにか皺しわになる手の甲をつくづくと観る老班なども

手の甲の老班の数増えてゐるかくも老いたるわれにやあらむ

孟武伯が仁問ふに孔子答ふ由も求も赤も仁たるや如何

二条良基に叱られし了俊いつまでも「いかめしき御恩」と仰せられしを

2月26日(月)

我が町に雨ふるときは遠き山の丹沢山塊雪になるらむ

十六夜残りの月の山の上に明るきときは「後朝」思ふ

後朝(きぬぎぬ)」といふ美しき語をおもふ老いには恋も遠き思い出

子貢に聞く汝と回といづれかまさるわれは到底回の下なり

そつそつたる内容なればか簡単に了俊が()にくれしものなり

2月27日(火)

一巻の絵巻のごとき人生を夢に観ずるに現実(うつつ)違へど

神棚の榊に粒実ひそかなり春の精霊ただよふごとし

たましひに紙やすり掛けて削るごと違和感ありきけさの体調

だらしなき宰予のさまにことばのみか行ひを観る判断のために

ひらがなに「ゆふづくよ」とあれば分かり難し「夕付夜」なり貫之の歌

2月28日(水)

人生の晩年をいかに生くべきか悩みあり薬の副作用に悩み

下半身に赤い発疹、微熱あり倦怠はかく言ふまでもあらず

いまだこぬ飛燕をおもひ翻るそのすがた恋ふ春の鳥なり

申棖(しんとう)を知らねど欲を捨てがたき人ならむ魯の人といふなり

2月29日(木)

皿、碗を洗浄籠から取り出して食器棚それぞれに(おさむ)る朝け

皿の音かちゃかちゃ聴こゆまだ眠る妻を起こさずやそれのみ怖る

まだ青き空には雲が薄く掃く今日の天気のやがて雨なり

なかなかに手厳しき孔子「()や、(なんじ)の及ぶ所に非ず

「しかなかりそ」はそんなに刈るな草すべてを刈るな人麻呂の長歌

3月1日(金)

カレンダー捲るに力の溢れくる三月一日もう春ならむ

やさしきコットンブリーフにつつまれてわがふぐりにも春は訪ね来

愛媛国から小さき蜜柑の箱が飛ぶ木霊(すだま)のごとし相模国へ

性と天道ふたつのことを語るとき聞くべかりけれ孔子の言を

詠みにくき(ふた)文字(もじ)の題人数の少なきときに多くつくらむ

3月2日(土)

生ゴミはわが(はらわた)を潰したる如きとおもひ捨てかへりみず

生ゴミのごときわれなり塵芥(ちりあくた)に混じりて捨場に端坐してをり

今朝もまたゴミの袋を捨てにゆく腐臭はわれの臭ひなるかも

子路のよさは聞きたるに行へざればそを恐ること

夕づくよ水鳥の鳴く空にしてなにも見えねば音のみ聞こゆ

3月3日(日)

珈琲はカフェイン多く禁じられ目覚めぬばかりか眠りたくなる

カフェラテならいいのか一日に二杯喫むなにもかはらず目覚めたりけり

朝のひかりにわが影伸びてたちまちに自動車(くるま)に敷かれ影くだけゆく

諡に文といふ字をもつ孔文子敏にして学を好み下問を恥ぢず

藻塩草を枕に寝ねば夢にみる螢とびかふ闇路にまよひ

3月4日(月)

トイレットペーパーまだ紙残るを取り替へる老い母の仕業惚け深まりぬ

老いたるや九十歳を越すころよりさっきのこともおもひ出せず

春の日のしづかに移るおだやかなるひかりの中にクリームパン食ふ

子産について恭、敬、恵、義孔子いふ四つの道に卓抜なりき

安々と別したることなきがよし実朝よ万葉ぶりをしばし控へよ

3月5日(火)

早咲きのさくら木のもと愛らしき目白来ぬるに春もくるらし

目のめぐり白き化粧に愛らしき目白ついばむ小さな草らし

昨日とは打って変わって曇り空冬にもどれる寒き一日

斉の宰相晏平仲は善く人と交はりいつまでも人を敬す

3月6日(水)

何処からか迷ひ入りたる冬の蠅頼りなげなりわれに打たるる

部屋のなかを蠅が来てゐるふらふら游ぶも頼りなげなる

ふらふら飛ぶ蠅のあとたどりゆき遂につぶせり窓の下に

魯の太守臧文仲は悪しきゆゑ如何ぞ其れ知らなんといふ

春の霞のやうなる面影に恋をする正徹どこか純情なりき

3月7日(木)

雲重くわが脳髄も重くしてプラハの街をさまよふてゐるる

リディツェ村は壊滅的に破壊さるナチスいまさらに許し難し

白梅紅梅咲く家ありてふらふらと読書の息抜きに団子買ひきぬ

()(ぶん)(ちん)文子(ぶんし)もその行ひ忠・清なれど仁にはあらず

正徹と重阿の仲は確執あり歌会の勝ち負けどうでもよろし

3月8日(金)

カフェ・オ・レを飲めば少しく目が覚めて悪夢の夜も明けてゆくなり

いくたびも夢にめざめてこころぼそしああ悪夢あり夢に逃げをり

鈍色の夜明けが襲ふくるしくつらく夢にし悩む

道あれば智者なりそして道なくば愚者にして甯武士ひよりみなりき

3月9日(土)

胎児がみる夢のごとくに壮大なる宇宙のひろがりいのちの力

夜がらすの鳴くこゑ聞こゆくらやみのいづくに鳴くやその不気味ごゑ

不穏なり。夜がらす鳴けば戦代(いくさよ)のごとくに今日も人殺さるる

陳の国にて孔子がいふ「帰らむか、帰らむか」帰りて党の小子を鍛ふ

むすび題の読み方につき解説する正徹どこか偉さうにして

3月10日(日)

名奉行の祖父に教はる孫ありぬ草壁総次郎十八なりき

もの干し竿から靴下右足飛びだしていづくへゆくか青き冬空

靴下にも冒険したき時がある遠くへ風に乗りてゆくべし

伯夷・叔斉旧悪を思はず怨み希なりと絶賛するなり孔子先生

花、月の風雅を知るは兼好のみ和歌にすぐれて徒然草書く

3月11日(月)

大揺れの感覚いまも忘れがたしこの大揺れに滅びむとする

いとしき老若男女の死者たちの踊りあるべし輪をなすごとく

まだ幾体の死者がゐるかくれひそみて夜更けつぶやく

微生高はけちなひとにて誰がいふ正直者などもってのほかなり

初心のものはただうちむかひさはさはと理のきこゆるがよし

3月12日(火)

わだかまる雲古でたるはよけれども肛門裂けて赤き血の付く

赤き血のまじれど雲古いでたるはよろこばしきと老いがつぶやく

もの干しは雨そぼ降りてわが下着乾かずにいつまでも濡れてゐる

左丘明に事借りて孔子の恥を知る生き方説けり恥こそよけれ

心の働くままに詠むべしと俊成言ひきありがたかりし

3月13日(水)

雨の中手すりを歩む鶺鴒の淑女のごとく下手にし去る

ベランダの手すりの上を胸張りて淑女然たる鶺鴒歩む

この世から別乾坤へわれもまたわれにはあらぬわれならなくに

孔子の志を問う老人には安心をさせ、友を信じ、若者を慕ふ

樺桜を問はれて答ふ枝赤くして紅梅に似る一重のさくら

3月14日(木)

どら焼きを頬張るときのしあはせを人には告げず一人食らはむ

どら焼きの餡がはみだすことありてたつぷりあんこがあふれだすなり

どら焼きを喰えば秘密の時間ありつぶ餡、こし餡、あんこひようげる

已んぬるかな、もうおしまひだ過ちに気づいて責むる者をしらざる

「えび染め」とは葡桃色したるものなりけり得意げにいふ正徹の顔

3月15日(金)

どこからか家のうち蠅が来て游ぶ頼りなげなり春には早く

よろよろと飛ぶ蠅のあとをたどりつつつひにつぶせりまだ弱き蠅

ベランダの窓のあたりを旋回す力なき蠅いささか気の毒

十室の邑にわたくしほどの忠信ありされど及ばぬわが好学心には

鎌倉の右府とは誰のことをいふ頼朝の子の実朝ならむ

3月16日(土)

亀鳴屋から届くはずの本遅く焦れたり『徳田秋聲俳句集』

限定番号342さみどりの本うつくしかりき

少し許り暖かになる空の色うすら暈けたる富士山の白

雍なれば南面せしむべし孔子のたまはく絶賛の辞

月やあらぬ昔の春を思ひをりこの世に一人われのみにして

3月17日(日)

老いの眠り丑三つ時に目をさますひたひたと踏む足音聴こゆ

その音に怯えて暫時(しばし)動けざる廊下の隅にたたずむ影あり

仮面劇の仮面を模写しこころ動く面のたましひにわが(たま)感ず

必ずしも子桑伯子はよからずと仲弓は思ふ「雍の言然り」

制の詞厳然とある時代なりこの百余年の歌をば取らず

3月18日(月)

キッチンにこまかく動く妻の手もと南瓜、筍、人参、大根

むつかしき表情に妻が考ふる金銭、経費をノートに記す

雲古の太き二本がわだかまる便器の底の水流の渦

顔回の学を好むを愛したる孔子に歎きあり短命なりき

あふれる体は詠まなかった」と書いた。物哀体は歌人ならば誰でも詠む。

幽玄は余情と物哀とは別のもの紀貫之にも幽玄はなし

3月19日(火)

すずめ一羽木々を移りて葉がくれに鳴く声嬉し一日のはじまり

仮面劇の(おもて)を模写する困難もかえつて愉したましひ込めて

麺麭を喰うにわれは富者とはおもへざるこの世いきがたし貧富の差あり

子華、冉子ともに君子にあらざるか急を助けて富めるに継がず

『拾遺愚草』の「あまのすさみ」を読めざるか正徹嘆きてかく言ひたまふ

3月20日(水)

コーヒカップにわづかに残るカフェインの苦みあり朝食の暫時(しばらく)の後

適温のバスにつかりてくつろげるわがからだときにとけるがごとし

いまだ暗きに朝がらす鳴く声聴こゆやかましやかましその濁声は

家宰である原子に粟九百を与へれば辞退す清廉なりき

それならぬ人とはいづれ「忘れゆく」でも「かはりゆく」でもないこの辛さこそ

3月21日(木)

今日も青空、しかし寒い。北西の強い風がある。ベキシブル一錠、副作用がでなかった。  

べレキシブル再開するに一夜経て副作用なしほっと息する

今後のことはいまだ判らずべレキシブル服用しつづける他に手立てなし

首傾け身体かたむけわが立つにたましひも傾ぐ混濁してゐる

仲弓は微賤の出でも角が良し山川の神に抜擢されるべし

定家の歌かくも好めばこの歌から人待つ侘しさこれこそ艶なり

3月22日(金)

日なたにはモクレンの花春の色日翳りの木はいまだ冬の木

朝から明けのカラスの濁りごゑ遠近に鳴く町ひらけゆく

モクレンの蕾が開きつぼ型のかたちにひらくいまだ寒き日

顔回と其の余の者をくらぶれば心を仁から離すことなし

人麻呂を絵に画きし藤原信実を褒めたるか当代のだめさをいへり

3月23日(土)

雨ちゃんと太陽くんの物語、奇蹟に涙したたりやまず

雨ちゃんが五感を失ふ展開の泣けてならねば録画を止める

永野芽衣の笑顔がなんともいへずよし笑顔みたくてテーマ曲聴く

子路も子貢も冉求も政治を執れる孔子答へき

忘れられぬ恋あるべしや思ひだすことのくさぐさに心を残す

3月24日(日)

どことなく寂しき思ひに湯に浸かるああとため息この日々の果て

湯気にけぶる鏡に映るひょっとこづらひょうげて踊るわれならなくに

街の灯は遠くに見えてまだ明かる終夜灯るか海老名の町は

閔子騫、季氏に使はれること良しとせず汶のほとりへ逃れるべしや

春の盆の日雨しとど寒きがなかをおもひしやきみ

3月25日(月)

探しまはりやうやく行きつくゴールデン街ギターの音に軍歌を歌ふ

しんみりとしづかに飲むはナベサンか終電すぎても酒飲むをやめず

新宿ゴールデン街に遊べるはむかしむかしのことにしあらむ

伯牛の疾に苦しむを見舞ひする孔子の(まなこ)に潤みなきかは

和歌には(しやう)があるといふ俊成・定家に伝はる(しやう)なり

3月26日(火)

徳田秋聲の自然描写を愉しみて「あらくれ」「新世帯」読み終えたりき

朝の雨に寂しく鳴くはひよどりの一羽雌呼びいくたびも鳴く

雨に打たれ白き木蓮散りはじむ地に無惨なり(はなびら)落とす

顔回を褒めて孔子は二度もいふ「賢なるかなや回」「賢なるかなや回」

いづくにか今宵はさねん紀の国をめぐりて夜の宿のあてなし

3月27日(水)

キッチンにビニール手袋が生きてゐるまるで人の手うごきはじめる

不可思議のキッチンの棚夜になれば扉が開き皿、碗とびだす

夜に入れば皿鳴る、碗鳴る、スプーンが叩き叩いて大騒ぎなり

なかなかに孔子の教へは厳しくて冉求おまへはかつてに(かぎ)

勅撰に選ばるるのは実直か虚構かあれど実を重んず

3月28日(木)

いつまでも余寒のごとき日がつづく三月下旬けふも晴れざる

水仕事にトイレが近しこれもまた老いの証しか致し方なし

風呂上がりのメガネが曇る鏡のうち輪郭暈けし異形のすがた

子夏にいふ汝よ君子の儒と為れよ誤まっても小人の儒に為るなかれ

心を古風に染めて歌ふべし古人に詞よく倣うふべし

3月29日(金)

抽斗に春のセーター動きだすざはざはさわぐ水色、黄色

淡きブルー、イエローの春のセーターの主張をはじむわれこそ吾こそ

せっかくの春の日の朝みづいろのセーター選び頭突っこむ

3月30日(土)

あけぼの杉の天辺あたり陽はあたり燃ゆるがごとし朝のひかりに

ひさびさに空が明かるく(ひら)けゆく弥生下旬の今日なればこそ

老いたればしかめっ面をするらしいほんとは笑顔が笑顔にならぬ

澹台滅明といふ素敵な名をもつ男ゐる公事にあらねばわが室にあらず

御製を読むときは七度読みあげる摂政、将軍も三度披講す

3月31日(日)

こんな日は『左川ちか詩集』が相応しき「私の感情は踊りまはる」

踊りまはるごとくに風の中を舞ふ左川ちかに扮し悲しみ追ひ出だす

人の世を生き抜くための防御癖こしらへ歩む林の中へ

人の上に立つ者ならば言い回しも易しく誇らず受けとむるべし

述懐は懐ひを述ぶることなれば祝言こそは詠むべかりけれ

4月1日(月)

気がつけば廊下の奥に立ってゐる醜き老婆わが母ならむ

九十を超したる頃から惚けつづく醜き老媼いらんことする

明かりなきキッチンに立つ母の影まるで妖異が佇むやうなり

弁舌なく美貌ばかりではむつかしき今の世無事に送らむとして

続歌のむつかしきこと解き明かす名人頓阿のやりやう見つつ

4月2日(火)

一輪、二輪咲けるばかりの枝にきて枝を揺すれる子すずめ三羽

さてもさても(つがひ)になるかひよどりのむくつけき二羽前後して飛ぶ

人の世のあかるく開く朝の庭ひよどりがきて愛の宣言

戸口を通らずにこの道を往くものはなし必ず通るはずの戸口を

歌会の座にもきまりがあるものを窮屈なれど従ふべしや

面影に立つものをこそ友といふかくうつくしき友情あらむ

4月3日(水)

球状の玉をてのひらにもて遊ぶ宇宙を右に左に回す

この玉と宇宙の相似をおもふとき駒飲む瓢箪あるかもしれず

掌中の玉に遊ばれ一時間これもリハビリ玉をうごかす

文・質の彬々として整へば然るのち人に君子の道あり

正徹の思考が見えず戸外の梅、晩の鐘、句題の百首

4月4日(木)

やうやくに咲きはじめたる染井吉野けふは五、六部ヒヨドリが拠る

ヒヨドリのからだが載れば花着けし枝揺れてゐる若き桜木

染井吉野は津々浦々に咲きたれば少し遅れてみちのくにも咲く

まっすぐに生きよゆがめて生くるはただの幸ひ

逢坂の雪の様子にみちのくの深き雪をぞ見るここちする

この時にはじめて知りしただ人を待つことのみのつらさ苦さを

4月5日(金)

五条河原に骨にまみれてわれありとおもふものから貧窮の者

平安時代のわれを想へば泣けてくる貴族にあらず武者にもあらず

河原者とさげすまれつつ芸を売るその仲間にもはじかれてわれ

知るよりも好む、好むより楽しむ境地を語る子の(のたまは)

神様の前にて手を打つ鈴鳴らす祈るはわれの恋にあらずや

兄、いもうとの恋の様ねよげに見ゆるは兄のあやまち

4月6日(土)

花冷えやさくら木のした春物のコートのボタンきっちり留むる

さくら木の枝にすずめを集らせて蜜吸はせをりこの春寒に

花も葉も共に出づるは山桜白き花よしまだ蕾ある

人にして能力の違ひあるものの孔士の言は納得しがたし

あらましかばさくらの花の咲き満ちよ霞わたれる琵琶湖の岸に

うらみごとを言ひし女と幾たびも歌のやりとりどっちもどっち

4月7日(日)

唄を忘れたかなりやを棄ててはならず象牙の船にのせませう

かなりやを後の山に捨ててはならぬ月夜の海に浮べませう

かなりやを柳の鞭にいたぶるな銀の櫂にて海へ漕ぎだす

樊遅が問ふ知と仁を孔子は解けり難解にあらず

暁のね覚めは遠き昔の事たのしき夢から遠ざかりをり

植ゑし植ゑばつきせぬ菊の花が咲くごとくに恋も絶えせずつづく

4月8日(月)

走れ 走れ鉄橋を越す窓の外スピードスピードたのしいな

汽笛をならして汽車が行く野原だ、林だ、ほら山だ

汽笛ならし煙をはいて汽車が行くあかるい希望が待ってゐるから

知者は動き水をたのしいむ仁者は静かに長生きをする

いやいや自讃なれども正徹さん歌への思ひただならぬもの

年若き十四、五のころから研鑽し数多く歌ふたしかに凄し

あやめ刈りあやめに巻きし粽をぞ「狩り」に掛け昔の人は雉を返せり

4月9日(火)

からたちの花咲けば白き花ひらく咲いたよ咲いたよからたちの花

からたちの棘は痛いよ針の棘指触れれば痛しその青い棘

からたちの畑の垣根いつも通るこの道通る人皆やさし

甲斐をとめ我を祝ふと千羽鶴折りて掲げし下をばくぐる

4月10日(水)

峰々の遠き彼方のあかるむところありしをよろこぶ明日は晴れなり

けさ晴れて、しかし空気は冷えてゐる一階のポストへ朝刊取りに

さくら花昨日の雨に風に散る木の周辺は花びらだらけ

斉、一変せば魯、魯一変せば道。わが故国道ある国に近づくものを

西行、定家、俊成の晴の歌つくりし時はそれぞれに会に出るさまして案ず

鶏どもよまだ鳴くこともなからうにまだまだ女と離れがたきぞ

4月11日(木)

夜の北の窓には淡き青き色ゆうらり揺れてただよふごとし

この窓のむかふにはひろき海があるときおり波の荒るるも青なり

夜に降る雨のせゐかも青き色に北窓の外闇なす空は

觚、觚ならず。觚ならんや。つまり孔子は大酒は駄目

歌会の作法やかまし正徹の時代にも重き伝統ありき

まぼろしの女に逢へず袂濡らす天つ空より涙のしづく

4月12日(金)

時に雨ふればたちまち傘ひらく赤あり、青あり、黄色いパラソル

ペットボトルのお茶のみほして空になればペットボトルをつぶして捨つる

ペットボトルを仰ぎ飲むこの阿呆づら口からこぼす水のしたたる

君子は井戸の近くまでは行くものの欺くことは()うべからず

懐紙に書く文字にも違ひあり二条家は「歌」、冷泉家は「謌」

どちらでもよいことなれど目に立つはわろし人にかはらず

男の思ひかなはず言の葉ををりふしにやれど返しなかりけり

4月13日(土)

枝ごとの芽立ちのみどり増えてくるあけぼの杉も春のよそほひ

槐もみどりの扇のかたち。枝やはらかにこれもまた春

ゆったりと緩急自在に揺れてゐる風吹けばそのみどりゆらめく

君子は博く学びて約するに礼を以てせば道にそむかず

古今集は手から放さずその歌を暗誦すべし以前より言はれし

草の庵に宿借る女もあればよしおもひとほれば女も来べし

4月14日(日)

焼き網のうへには身のひきしまる鰺が焼けたり尾びれの焦げて

鰺の目が焼網の底ひに落ちてゐる底ひの目玉がわれを睨む

かたち崩れ鰺の身喰はれ骨ばったからだにまだ身が付いてゐる

南子(なんし)に会ふがそんなに厭か子路に言ふ(すまじ)きところは天これ()たむ

高貴なる装束を着する伏見院気高く堂々なりとその書を説けり

刈る藻に宿るわれからのように砕けむとの思ひあればこそ女応へめ

4月15日(月)

わが家には時計いくつかそれぞれに違ふ針の()時を刻めり

四つの時がそれぞれに刻まれて老いを悩ます時の回転

時間ごとに自我が刻まれわたくしは四つの自我を持ちたるべしや

中庸は最上の徳されど今は民のあひだに乏しきものを

歌といへば寛平以往に心がけよ古風をこころに染めたるがよし

田に出でて男なにせむ女たちに見据えられてぞ顔あからむか

4月16日(火)

わが家には時計が三つそれぞれに微妙に違ふ時を刻めり

腕時計を含めて四つの時刻む帰還するときどれが本物

妻の帰りが微妙に違ふは小田急線の時刻表替りし影響ならむ

博く民に施し衆を(すく)はばどうだらう堯舜も及ばぬ仁の道なり

理の外に至極の歌ありいかんともできねば自然と納得すべし

歌ふことの甲斐のひとつか病む男にも水そそぎけり

水そそぎ息ふきかへす男あり京を離れて隠遁しけり

4月17日(水)

Tシャツがベランダの風に揺れてゐる黄色が踊る、赤も合わせて

赤のTシャツが自由勝手に踊りだす南風吹けば調子を合わせ

物干しのTシャツ風に踊りだすまるで人なり両腕張って

いにしへを信じて好む孔子なりひそかに老彭と比べたりして

「はたれ」もまた意味不明なる語ならむか正徹の解説まづまづわか

いささかに男の悋気。元妻に嫌がらせしてもいいといふのか

4月18日(木)

豆に刃を入れて残酷なるたのしみあり犯されてゐる豆に同化す

もういやだ背後を襲ふこの(やいば)空豆のいのちを御する

孔子は嘆く徳、学、義、不善いかようにもならず是吾が憂ひ

草の原いかがと問へばそこにこそ消えてうつくし秋の名残

色好みの噂どほりの男なりあだぞあるべき濡れぎぬならむか

4月19日(金)

茶碗に熱き麦茶を注ぐとき湯気立てばけふのはじまりや 吉

しかしまだ蛇口から出る水冷たくとても春とは思へざらめや

定家卿の「顕注密勘」自筆本あきらに定家の悪筆に成る

二と三を取り違へたるその為か孔子の自讃辟易もせず

死にたればあはれやかけん亡き人のなつかしき顔忘れざりけむ

元夫の仕打ちに女逃ぐるよりすべなからむぞあはれ何処に

4月20日(土)

むらさきの花が道路の割れ目からはみ出して咲くたのしからむや

歩く先につぎつぎにあるむらさき草色濃きさねさしさがむは

灯したるあかりのごとき西洋たんぽぽその濃き黄色いのちある如

孔子のくつろぎの様をたとふれば申申如たり夭夭如たり

きみ去なばうすきぞ色もさくら花逢ひ見ることもかなはざりしか

業平のまめごころこそ貴きなり思ふ思はぬのけぢめなかりき

4月21日(日)

若みどり色の木の下をゆく妻の若草色の春のセーター

木に隠れ若草色の妻がゆく遠くを見てをり春の山並み

葉ざくらの鬱陶しき葉のした通るこの道はむかしの街道

幽玄の体にはあらねど家隆がうたひし鶴のひとこゑ鳴く歌

逢ふことを断られたるか昔男そんなこともあり皆がより来ず

4月22日(月)

木の影を若草色の妻がゆく髪の毛染めて明るき妻が

若草色の春のシャツ着て妻がゆくあけぼの杉のみどりの影を

もうものの役に立たない老いの性もて余しつつ目覚めたるかも

恋歌の心得として「松原」は夜が更けた時分に詠むがよからふ

人の国より夜ごと夜ごとに訪れし女恋しや行きてはうたふ

4月23日(火)

おぼろ月西空たかきうす明かりこよひは少し酔ふもよからふ

西空のおぼろな月に飛びあがる背中の羽根をはばたかせつつ

ドローンの視線に高きを飛ぶ時の心の愉悦いひやうもなし

孔子塾に束脩持って来たるべし教ふることの無くんばあらず

魯橘砌に通ふこの題に玉の砌、軒、床、庭もありわが歌を見よ

難波津は京からもっとも近き海人や驚く海わたる舟

4月24日(水)

ゴミ袋にコバエ一匹つぶしたり孤独であつたか無言に死にき

わが家には今年はじめてのコバエなり疎ましけれど親しきものあり

一匹ゐればどこかにひそむ仲間たち孤独のコバはまづはなからう

4月25日(木)

山の端は雲に隠ろふ山肌はわかみどり色日に映えて棚雲たなびく朝の風景

これほどにわかみどり色日に映えて山の一郭かがやきしなり

棚雲は山の中ほどを這ふやうに西の連山をずっと及べり

憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず、一隅にして三隅反さざれば教ふるに能はず

流されし後鳥羽院こそ思ひ出でて今年も冬は時雨来にけれ

4月26日(金)

赤いつつじ白いつつじが庭に咲く異界へむかふ(こみち)ありけり

赤、白のつつじの花の大きくて蜜の香りの溢る園すぎむとす

赤いつつじ白いつつじの咲きにけりこの道老いのよぼよぼがゆく

喪のときには孔子慎み食少し哭あれば則ち歌うたはず

頓阿翁のこだはりいかが風情珍しくするがよきなり

住吉を歌はば海のすばらしさを技巧ではなく素直がよきなり

4月27日(土)

やかんに沸騰せし麦茶を卓上の茶碗にそそぎ白き湯気立つ

卓上の茶碗にのぼる白き湯気たゆたふやうにそして消えゆく

手にかかへ碗の温さをいと愛しむこころも温し朝の時の間

大軍を率いるならば暴虎馮河の者とは与せずと孔子のたまふ

兼題には前日までに準備してその日は懐中にして修正などせず

斎宮は神聖なものされどその斎宮を愛し男悶へる

4月28日(日)

葉ざくらの風に煽られ大き枝激しく揺れて音たててをり

葉ざくらに小さき実あり風に落つ黄色く積もる地べたを歩む

ウインドを開けっぱなしに自動車(くるま)来るロックのごときを大音にして

わが上に懐紙を重ぬることなかれ将軍の言も承引はせず

いつまでも未練おさまらぬ男なり近き泊りに逢たかりしを

4月29日(月)

昭和天皇の誕生記念日に近くして父死せり殉死の思ひあるべし

平成の天皇即位し父の生くる意義失ふか四か月後の死は

午後からは雲の世界になるらしき鬱陶しきは父の死にある

韶を聴きそのうつくしさに感嘆する孔子よ楽なすすばらしきこと

当座歌会にも仕来りがある若輩には物忩に見ぐるしきなり

神すらも味方につけて愛すべき女子(をみな)か あれば垣も越えなむ

4月30日(火)

室内・廊下・階段を二千歩ほど歩く今日午前のノルマ

ノルマとはシベリアに抑留された者が伝えへしといふ苛酷な労働

沸かしたての麦茶を注げば茶碗より白き湯気立ち薄く消えゆく

仁者にあらねば孔子助くることやなし衛の乱れざま視野にも入らず

歳ふりし宇治の橋守にこと問はん幾世になりぬ水流るるは

大淀に待つはつらしと思ふりうらみてゐても男はかへる

5月1日(水)

メーデーに行く時はいつも快晴で日比谷野音は溢れをり

なんとなく時の節目にゐるごとく東京駅まで叫びつつ歩く

人の後に従ひ歩く手作りのプラカードなどに意思表示して

疏食(そし)にして水のみ肘を枕にすわがたのしみはこの内にあり

ナンセンスなる歌いくつもある宴はいつの世にもさかんなり

目には見て手にはとられぬわが恋のくるしきばかり月あかりくる

5月2日(木)

藤原定家八十年をことほぐべしあはれ父には及ばざれども

春の夜の夢の浮橋をわたりゆくこの世に未練などつゆほどもなし

定家卿をおもへば貴族の生きにくさ八十歳はいふこともなし

5月3日(金)

夏空のやうなる深きブルーの色歩きつつ幾度も見上げたりけり

真っ青な空に溶け入るごとくにてわが脳天も蕩けてゆくか

ブルースカイを胸に鳴らして歩くときしんみりとした気分にならむ

数年を経て『易』を学べば大きなる間違ひあらずと孔子のたまふ

物哀(もののあはれ)の体はむずかしきしみじみとした俊成のやうに

無愛想な女にしあれど恋ひわたるこんな男の情熱をこそ

5月4日(土)

野の花の姫紫苑咲くつつじ垣つつじの白き花は散り落つ

青き皐月にぽつぽつと赤き花の咲く日にあたたまる老いも温くとし

五月つつじ一輪、二輪花着けて春から初夏へときも移らふ

孔子が雅言するのは詩経・書経を読みそして礼を執るとき

本歌取りのうるさき規則勅撰に選ばるること肝要ならむ

何といへど女つれなし逢ふことのかなはざりけりこの女には

5月5日(金)

花ひらく皐月つつじの花の垣沿ひつつ歩むに老いはよろける

空高くめぐりて降りる鳩の群れぽぽぽぽぽぽと鳴きつつ歩く

蹴飛ばすやうに鳩の群らがる所ゆく平気で声あぐ憎らしいほど

楚の国の葉県の長が子路に問ふ。子路は無言なり人物わるし

ましみづは真清水の意なり決して増水にあらず間違ふ勿れ

なかなかに逢うことできず翁になる業平のこと誰か知るらむ

5月6日(月)

中庭のけやき樹ことしはたくさんの若葉繁らせ生き延びたるか

枯れきった幹からも若きみどり葉を伸ばしてわれら生きているのだ

歩みゆくにけやきの葉々の影を踏むその影濃くなることしの欅

古へを愛してこれを求めたるそれだけの者生まれながらに

法楽の百首読み終へずに帝死す不吉なりけり時案ずべし

だいたいは業平翁の勘違ひ山にはあらず捧げものあまた

5月7日(火)

姫紫苑さつきつつじの花に雑じり抽んでて咲く風に揺られて

雨の日は姫紫苑も皐月も濡れてゐるいつものかがやきけふは失ふ

姫紫苑の多く咲きたるところすぎふとふりかへるその白き花

怪力乱神われは語らずと潔し怪力乱神こそ興味あるもの

今熊野の庵炎上し幾多の書灰燼に帰すいたしかたなし

苔石にしるす一首の歌を献ず皇子親王さてよろこびたるか

5月8日(水)

匿名性にまぎれてゴミ集積場生ゴミの山にわが家の生ゴミ

天候は朝はもっぱら晴れてゐるわが家の生ゴミいきいきとして

皐月つつじの連なるところ赤き花ぽつぽつ笑ふ五月八日

そんなに容易に師は見つかるか見つかってもその善き者に従ふべきか

とりわけて主張・方針なく記す『枕草子』もそれを継ぐ『徒然草』も

千尋あるかげあればわが在原の家もわれらも安泰とうたふ

5月9日(木)

許し難きウクライナ侵攻けふもまたプーチンのしたり顔テレビに映る

二十年以上もたてばプーチンの痩せたる顔も太りたるかな

強引なる権力を行使するプーチン、習近平、そしてネタニヤフ

桓魋が孔子を殺さうとしてはたせざる桓魋ごときと孔子強気なり

恋人に「とはばとへかし」嫌味なりあてなく一人言へばあはれなり

衰運を歎きたるかなこの世の春は幾許もなからんとおもふ

5月10日(金)

この扉のむかふにひろがるみどりの国若みどり濃みどりとりどりのみどり

若みどりの葉を茂らせて並木なす道を歩めりまほろばの国へ

仏像の金箔まだらが曼陀羅のやうな円陣に迷ひ入りたり

われ常に皆といっしょにことを為すこれが丘なり何も隠さず

寝ぬに目覚める老いのねむりありここは牧場の夕まぐれにて

歳老いても業平はなりひら上手なり邸をたたへ歌を詠みけり

5月11日(土)

新しき若葉が古きみどり葉に変はるときには古葉こぼるる

新しき若葉に変はる椿の木繁り閑散としてひよどりも来ず

常葉樹の椿の葉々に隠り飛びだせるひよどり今の樹には拠り来ず

孔子の教え四つばかり文、行、忠、信いづれもむつかし

三体の歌の(ふう)には大ぶりがよしたとへば「花の音」と詠むかな

山の端に隠ろふ月のいつまでも入らむと思ふな沈むが月なり

5月12日(日)

姫紫苑むらがり咲けるところあり白きが揺れて姫御殿かも

姫御殿に舞ひあがりたる姫紫苑この白き花芯また赤し

背たかき姫紫苑の花ひんじゃくにわが目に映る日々の道行

常のあることの難さを孔子言ふ常ある人はさうはゐませず

神がみに祈る恋とは難儀なり諾冊二尊をうたひたるかな

惟喬親王に親しむ業平のものがたり離れがたきに歌を詠むなり

5月13日(火)

風呂洗ひにわが綿シャツの袖濡れて泣くにはあらずも感傷しばし

感涙にむせぶときわれにもありしかなおもひかへせば涙し垂るる

泣くほどの力失せたる老いなれどかなしき涙目頭に憂し

孔子が釣りする狩りをする意外なり(ずる)はしないのしても-

遭ふことのかなはず門を出でくるによるべなき恋のこころもちする

子を思ふ親のこころを知ればこそ千里の道も遠しとはせず

5月14日(火)

皐月つつじの小さき赤き花々の色褪せて地に凋尽したり

半分は五月つつじの葉に残り半分は落ち風に運ばる

花をちぎり落とすは老いの手すさびか妻と摘む花痛々しきよ

5月15日(水)

おやつに京井筒屋の生八つ橋弾力を持つ味をたのしむ

在原業平らの歩みあり涙にほとぶる干飯たぶる

宇治の茶のみどりのいろを映したる茶碗を覗く京のはてなり

もの知りでもないのにものを作るそれはだめだと孔子のたまふ

旅にして宿かるところに女あり恋するものを置き去りにけり

雪に降られ飲みつつたのしされど昔のごとくにはあらず

5月16日(木)

夜目に見ゆ廊下の影の大きくて立ち竦みをり寸時の怖れ

わが影と思へぬ大き影がみゆ天上灯火近々光る

闇の中へ消えゆくごとしわが影に従ひ歩むこのドアの前

互郷の人は与にしがたしさあれども童子には会ふ孔子に余裕あり

わが目には鵙の草ぐさに見えざるにたしかに恋のありかと思ふ

年経ても思ひはとどけ幼き日別れし彼の人を恋ふなり

5月17日(金)

つつじ萎え皐月つつじの赤き花連なり咲けばはつなつのひかり

はつなつの風に揺れたる皐月つつじこの垣くだる地獄の門へ

皐月垣に沿ふて歩めば老いの身のそれなりに疲るこれも浄土か

突然におしかけてきて一首を詠め花がなければかくもせざるに

わたつみに近ければ海松ひろふたる歌よしやあしやと問ふこともなく

5月18日(土)

薄青き春シャツ羽織り出でゆかむこの野の涯てはかがやくうなばら

わが夢に海に沈める骸骨がとびだして来る踊りはじめる

水母たちのダンス・ダンス・ダンス一斉に踊ればそろふ足けりあげて

おのれのみに礼するならずわが側にはおのれを糺す人やありけむ

わたしにも六十年のさくらばな散り来ればたしかに花恨めしき

月をみて日々を暮らせばたちまちに老い人となるなさけなきもの

5月19日(日)

おほかたは木の花終へてさびしきに桜は結ぶ枝に黒き実

さくら木のみどりの葉々を見上げをり葉のもとに小さき実をつけてをり

歩みつつ若きさくら木見過ぐるに黒き小さき実の落ちてくる

うたはせてうまければまたうたはせてあげくのはては合唱である

官・姓・名を書き記しその上に「上」と書く卑下のこころなり懐紙の書き方

恋ひ恋ひて死にすることのあるべきやあまりの恋ひに神も許さじ

5月20日(月)

雲の重さに圧せられたるごときなり臙脂の熱き血潮流れよ

懈怠とはこの雲の下に圧せられしわが身なるらむこの痩せ老人

少しだけ流るる風のとほりみちあけぼの杉の葉が落ちてゐる

君子としてはまだ未熟なりわがことを謙遜したり孔子先生

出されたる題の読み方も微妙なり山家、田家は山の家、田の家

さかりのさくらの枝にことよせて君にし逢へば嬉しきものよ

5月21日(火)

夜の廊下に交錯せしは老母なりもののけのごとく鈍重に動く

脈絡なく手足それぞれに動くらし老婆廊下をふらりふらり

真っ暗なる夜の廊下をさまよふは九十二歳の老婆とおもふ

聖と仁。為して厭はず、教へて倦まず弟子らに真似できず孔丘のみかは

本絶を踏まへて一首をなすといふ定家中世の名人なりき

三月のつごもりの日に今日のみの春を惜しみてうたふべらなり

5月22日(水)

郷ひろみのバラードを聴く「さよなら哀愁」せつなかりけり

われにまだ恋する心ありしかも郷ひろみうたふ「さよなら哀愁」

わたしより一歳上のはずである郷ひろみまだまだからだ動く

珍しく孔子病の重ければ天地の神に祈らむものを

旅寝には夢にもみぢの散るばかりせめて恋ひしき人よ風吹け

いくたびも棚なし小舟を漕ぎだしてゆくへも知らぬ君ならなくに

5月23日(木)

郷ひろみのバラード曲を聴きにつつ寂しきよせつなきよこの世の恋は

われになほ人恋ふこころあることを郷ひろみのバラード聴きつつおもふ

わたしよりたった一歳の年上が自由に手足うごかして歌ふ

奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固まあ倹約の方が害なかるべし

母の死と、妻の死との違ひありわれは俊成の歌を好めり

いやしきがわれよりまさる人を恋ふ苦しかりけりいまも変はらず

5月24日(金)

空豆はかく甘きもの。わが妻が友からいただく菜園の実り

皮むかず食ぶるがわれの流儀なりこの甘きもの皮を剥かざる

かくあまき空豆に逢ふ恋人のごとくに口中にもてあそびたり

坦かで蕩々たるが君子なりいつまでも悔やむ小人にはあらず

恋の歌では定家が一番からうじて家隆等しく他はかなはざる

花も紅葉も散るものを散つてこの世に思ひとぐるや

5月25日(土)

この川の流れに逆らひ遡り花の木に会ふ葉ざくらの木

まだマスクに顔を歪めるわれならむまなこのみ動く憎しみこめて

孔子の教へおだやかでなほ厳しくておごそかになほ安らかならむ

白居易の詩に学ぶべしつねに諳んじ読みはべるばし。

天の河を隔つるが今宵逢ひにけりわれは彦星、織女をおもふ

5月26日(日)

一刷毛の雲の真下の影に入る少し涼しきさつき花咲く

朝と夕、そして寝る前それぞれに薬剤のむも病状かはらず

口に含む一錠一錠を喉に流す薬に寄りて溶け方ちがふ

泰伯の至徳を思ふ。知られずに王位を譲ること三度なり

新羅明神も弘法大師も和歌を成す歌とは神秘を底に秘めたり

男も女も未練がましくふるまへば男の呪ひもかなふべきなり

5月27日(月)

すずめ二羽つがひの鳥か新緑の木から木へ移る後先ありて

すずめ鳴く、鳴きかはす声愛らしく木々の緑を移れるならむ

たちまちに電線に飛ぶすずめごの跡追ふらしき一羽も飛べり

いづれにしても礼守るべし君子なれば親を思ひへば仁なるべしを

思ひきやと詠むことはなし他の誰がおのが恋なぞを論ずるかなや

さくら花さかりをすぎて散りかかる老いへの道を迷はすごとく

5月28日(火)

朝に行く道はさつきの花落ちてその花を踏む老いの歩みは

しとしとと降る雨の中さつき花によろこばるるか老い独りゆく

傘ささずさつきの花の咲くところ目によろこびて老いの楽園

曾子の病深淵に臨むか薄氷を履むかしかれどももう免れる

人麻呂の忌日を知るはまれにして影供も夏の六月にする

へつらひのごときとおもふがさにあらずこの歌の持つ実直さあり

5月29日(水)

南からの風強ければ窓を打つまつこうから来る雨風の音

窓を打つは鬼かとおもふ開けてはならぬはげしき乱打

花々が落ちて散らばる皐月なり乱暴狼藉許しがたし

曾子疾にかかり申すこと暴慢、鄙倍を遠ざけて信に近づけ

歌における心と詞の塩梅のむつかしさを言ふ正徹なりき

ちらりと見たる女のもとに詠み贈るかくも女のこころをとらふ

5月30日(木)

夏つばきに清浄の花あまた着く白き花咲くこの夏の花

白き花、芯のところは黄色い蕊浅きみどりに花映ゆ木の花

昨年はほとんど咲かぬ夏つばき今年咲く花ただ可憐なり

顔回はなかなか素晴らしき友なりと曾子言ひたまふその謙譲を

山八重に重なるところたまたまに花咲けば「花の八重山」ならん

たまたまに目にしたるかも男なり忘れてかしのぶこともまれなり

5月31日(金)

もらひ梅を等級に分けそれぞれに梅干し、梅ジュース、梅ジャムにする

トリアージにあらねど梅に優先順あれば傷ある梅の等級

梅の実の匂ひ部屋内に充満す最初は爽やかやがてじっとり

曾子が言ふ君子の人は孤を託し命を寄すべく奪ふべからず

名所の題で詠むこと難き初心者は名所は名所でも詠みなれたもの

場に応じ歌つくることは業平の得意技なり藤は藤原

6月1日(土)

よろこびはことしの梅の大き実を手にもてあそびその香嗅ぐとき

よろこびは梅の実それぞれに振り分けてあばたあるもの寄せあつめたる

よろこびは実から熟した液指に潰したるのち梅の実匂ふ

士の道の死して後やむ遠からず仁もておのれの任となすべし

正徹のわが歌自慢。春の暮れ入相の鐘の音遠ざかる

時を経て尼になりけるをみなへも歌を詠みたるむかし男は

6月2日(日)

窓からの景色けぶらせ降る雨の条くっきり見えて激雨なりけり

宿の部屋のむかひ大平山の新緑の霞みて雨の降りくるならむ

夕の料理色、味とりどりに旨くして完食したりこの老い耄れも

6月3日(月)

ひさかたの海のひかりのまばゆさにこころたちまちにはれゆくばかり

新緑の木々のあひまに見ゆる海青く波立つ雨の後なり

湯河原の山の上なり舟いくつか浮かべて海はかがやきの色

6月4日(火)

悪性リンパ腫の三回目の疲弊感いまも解けざるものを

日本列島のいづれかに必ず荒れがある線状降水帯雨多く降る

湯河原から還りて昼にインスタントらぁめん旨し旨しよこのらぁめんは

詩によって生じ、礼に立ち、楽にして成るこのやうなもの

鹿火屋と飼屋そこそこ違ふものなれば両者あらそふ六百番歌合

寝ねし後はかなきものよいつまでも君の姿ぞ忘れられざる

6月5日(水)

存在の耐へられない軽さに遊弋し街を俯瞰すプラハの街を

藤原定家の歌の本歌取り、類歌を探り巧みなり安東(あん)次男(つぐ)の書は

宇野浩二の狂、芥川龍之介の自死への道。広津和郎が詳しくしるす

6月6日(木)

相模川橋梁を厚木へ辿る清流あれば鮎も育つか

川辺には鮎を目ざして幾人か川の深みへ入りゆかむとす

棹先にひかりのやうな鮎のをどるまんまと胴に針を引っ掻け

民これに由らしめることは難からずその理由を知らせる難しきこと

後鳥羽院の時には家隆知らぬといふ然あれこの時期こそ家隆に名あれ

尼になりし正体を知るをとこなり賀茂の祭の見物いかが

6月7日(金)

夏つばきの清浄の花あまた咲く白きその花この夏の花

白き花芯のところは黄色くてみどりの葉に映ゆ夏つばきの木

昨年は葉ばかり繁り花着けぬこの夏つばきことしは花咲く

まつりごとの難しさ説く孔子なり勇武、不仁はにくむべきなり

不実なるであひせし人忘れがたし憂きことちゃちゃっと心にかへる

つれなくさるる女を思ひされどされど恋してやまずこの女こそ

6月8日(土)

夏つばきの白き花には朝のひかり清浄の花かがやくばかり

夏つばきの落せる花の腐れたるが苔庭なればそこ愛らしく

木が違ふ木を拝むとき気が違ふ気ちがひならむわれに狂あり

周公の才の美あれど驕りかつけちなれば余が観るにたらず

夜の短き夏になりけりまう鴨はとびたちしかな跡形もなし

いまははやからくれなゐにもみぢ染め枕詞の役目はたしき

6月9日(日)

花々を落してさみどりの色かがやく躑躅、皐月のいのちの色なり

あけぼの杉のさみどりの葉々を揺らしたる中庭とほる風やありけむ

さみどり色に木々のかがやくときならむさつき、みなづきすぎてゆくなり

三年を学びて仕官せざること得がたしといふさらに学ばむ

さみどりの山に寄せたる思ひあり雲がくるとも消ゆるぞ雲は

これこそが歌の力か敏行は雨に濡れても女のもとへ

6月10日(月)

どんよりと雲重くなる昼つ方阿弥陀が救ふいのちありけむ

救はれざるわれにしあらむ地獄の底に彷徨ひ血まみれなりき

まはだかに剝かれて閻魔を前にして懺悔したりき許されざるか

学を好み命がけに道をみがく危邦に拠らず乱邦には行かず

みんなみの空に停午の月やある満月なればかがやきわたる

心では泣いてますよと暗示して男は詠めり思ひとどくや

6月11日(火)

夏の影は濃くして妻の前にある影ふむやうに妻が出かける

あけぼの杉の影も西側に伸びてゐるその影の中妻が通過す

木が違ふ木を(をろが)みて違ふこと気ちがひならむわれに狂あり

その位にあらざれば政務に謀らず孔子言ふこの謙虚さは孔子のものなり

長谷寺の観音像に祈りたり鐘うつときをその時と決め

さくら花散るときを死ぬる人やある人こそ恋ふる花よりもなほ

6月12日(水)

青いロマスカーと赤いロマンスカーがすれ違ふ午前六時十分厚木駅あたり

JR相模線上り電車踏み切りが鳴りわが前通る

約十五分歩いてくれば下り線のJR相模線に踏み切り閉鎖す

師摯のはじめ、『詩経』関雎の終はり。洋々乎として耳にひろがる

高嶋や安曇の川風吹きぬれば柳の枝の濡るるばかりぞ

夜深ければたましひ飛ぶに返りくるそのたましひを結びとどめよ

6月13日(木)

と揺りかう揺り揺りゆられわが身も心も揺りゆられ

遊びをせむとや戯れせんとや生れたるに四角四面のこの世に停まる

このうるはしき今様うたふ遊女たち小舟に乗りて揺られうたへる

狂にして直、(とう)にして(げん)、悾々にして信ならずではどうしやうもない

(くつ)(かうぶり)の難しさただならず広幡の更衣ひとりのみ解く

女房の一人が亡くなるときにしも恋歌のごときはもつてのほかなり

6月14日(金)

歩行してもふりかへるとよろけるわれならむ前から来る人の顔もわからず

踏切を前にしてとどまるわれにしてJR相模線下り四輌が通る

踏切の長くて途中に鳴りだせばあわててバーを潜りて出づる

努めても失なはんことを恐れたり孔子にしてかくも学成りがたし

爐火といへば埋火も焼火も詠むべきぞ而して埋火では爐火詠まぬなり

わが身にはたなびかざるを恨みにて率直うたふがもとへはかへらぬ

6月15日(土)

ことしまた小さき守宮に出逢ひたりこの小さきもの愛らしきもの

ベランダに逢いしは親が産みたらむいづこに親の産屋ありけむ

九階のベランダに守宮素早きは去年より育つ守宮ならむか

舜や禹の天下を治めたありさまを而して与らず理想の政治

虎とみて射たるに石にあたり立つかくわが恋はとほらざりけり

長からぬいのちと思へど忘れたる女よこの世はかくも短かし

6月16日(日)

わが家を守るヤモリの出現にへっと驚くその小ささに

あけぼの杉も夜の雨に濡れその重さ濃きみどり葉の下垂れてゐる

夏つばきの花もすつかり散り落ちて苔に横たふ茶に犯されて

いにしへの堯の業績を絶賛すこの政治この礼楽尊きものを

為氏が大納言職を奪ひたり虎の生けはぎやましきならむ

翁さびはわがことならむすこしばかり若からぬ帝の勘違ひなり

6月17日(月)

ふりかへるふと横をむくこと苦手にて悪性リンパ腫の後まあまあ歩く

三千歩を歩きて帰るわが部屋に敷きっぱなしの床に倒れる

わが前を人が通る、人がゐることに戸惑ふ歩行ままならず

周の文王至徳なり孔子称揚す人材あれば

乱れつつ風に吹かれてぶらりぶらりサルオガセわが行く手さへぎる

汝が胸に熾火のごとき思ひあればこの別れこそかなしきものを

6月18日(火)

わが眼鏡と妻の眼鏡が卓上に対峙してゐる睨みあつてる

近視度はすこしだけわれが勝つもののメガネのセンスは妻のはうがいい

卓上に妻のメガネが開いたまま本を読んでる百ページあたり

禹の国を大絶賛する孔子なりされどいにしへ今は無き国

懐紙にも書き方がある下をあけず上をあけるよろしかかろうか

みちのくはさびしきものよ京に住む君を思ひてすべあらざらむ

6月19日(水)

キャベツ畑にてふてふ二頭まひをどるからみあひつつまた離れつつ

キャベツ畑のうへとぶ白き蝶二頭上になり下になり踊るがごとく

いつのまにか消えたる蝶、のゆくへ追ふ天上たかく浄土の方へ

孔子は、利益と運命と仁とのことは殆ど語らなかった。

利と命と仁については多くを語らず孔子の思ひはここにこそあり

荒栲の衣と詠める歌少なし正徹の自慢ここにきはまる

帝のこと幾代もいはひ神をりぬ住吉の大御神すがたあらはす

6月20日(木)

梅ジュース一杯にけふがはじまらむ雨後のみどりの濃きこの時に

濃みどりにさみどり色の木々の葉つまっさかりなり夏立つならむ

真みどりのあけぼの杉の真下より仰ぐ木の葉のさゆらぎてゐる

達巷の人大なるものかな孔子なり言はれてあげくわれは御車と謂ふ

郭公(ほととぎす)の鳴くときを待ち年を経ぬ待ちかねて去るときもありけむ

長くひさしく女のもとを訪れずいいわけをする男は入れず

6月21日(金)

いのだが、運命、そして涙がある。読みがいのある一冊だった。

北からの風に押されて歩きゆくがたぼこ道を背中押されて

北風になぶらてゐる老いのすがた前傾ふかくうつむきかげんに

風吹けばゆくり歩むがここちよし新緑の木々のゆたかな葉々に

拝礼のときの冠みな絹なりその倹約にわれは従ふ

拝礼のときは下より拝謁する上で礼することは傲慢

たましひの袖に入るとぞ見てしよりわが夢ぞ浮くかなしかりけり

形見にと残せしものを見ればこそ君を思へり無ければよきに

6月22日(土)

涼しきうちにあらゆることを済ませておこふわが家のゴミのけふは少なき

ゴミ袋をぶらさげてあけぼの杉の樹下をゆく少し影濃しその影踏みて

皐月つつじの花の残骸木に付きてどうもけがらはし垣なすみどり

孔子は意を持たず、必せず、固なく、我なしすばらしきなり

卯月すぎて時鳥鳴くときを待つ滝のまへ落つる水ながれゆく

近江なる筑摩の祭を見むとするどれだけ鍋を被り出でしか

6月23日(日)沖縄慰霊の日

梅雨に入る後の雨なり激しくも道路を走る自動車(くるま)のひびき

JR相模線が雨中を走る音がするいつもより少し重き音にて

薄ら寒き雨の日なれば路線にははげしき雨ふる窓に見てをり

匡の地に孔子襲はる孔子言ふ「匡人其れ()れを如何」と

あまぎるは曇天の意。目きりて、涙きりても同じきなり、うん?

うぐひすの花を縫ふては笠こさふるその笠乾してきみにかへさむ

6月24日(月)

杏の木に杏の花見ず果実喰ふことしの木の実大きかりけり

長野より妻持ちかへる杏の実ことしはいたく太りたるもの

だいだい色の杏子の果実を齧りをり信濃の国の杏をかじる

聖人といはれるにさてさうではないと孔子いふなり鄙事に多能は

塩を焼くからかの島に雨が降るかなたも見えぬ海霧ふかく

井出の水に手をむすびあふふたりなりたのみしことも甲斐なかりけり

6月25日(火)

泥つきの葱持ち帰る泥つきの葱を洗ひてようよう食べる

泥つきの葱坊主洗ひ忘れずにこの白葱こそは甘きものなり

買物の袋は忘れずに入れてくるパン、豚肉、牛忘れずに

牢がいふ孔子はわれを用いざれば故にわが手のうちに藝ありといふ

残月の関越えるにはむずかしく月のしたなんか残月を詠む

男に少しは愛すべき女には愛ほしついにはなれがたきぞ

6月26日(水)

花が萎れて皐月つつじの枝さきにゴミかのやうにへばりつきたる

皐月つつじ深く繁りて枝さきに花弁萎れていつまでも付く

雑草に二頭の蝶々寄りゆくをしづかにしづかに見届けて待つ

つまらない男がわれに質問す空空如たり両端を叩き

吉野川氷て浪の花もたたずさびしき冬のかちんこちん

死はなかなかわがもとにさへ来ざらむをわづらひあれば今日明日こそは

6月27日(木)

朝からピーチュピチュと鳴きたるは(ひよ)が似合いの相棒さがす

このさきに(ひよ)の相棒うづくまるピーチュと鳴けばピーチュと応ず

枝ごとに花の残滓を付けたままそのまま育つどこか汚れて

現実に鳳凰飛びこず黄河から図版もいでず我もをわりか

定家の歌に伊勢物語を詠みこみし一首ありけり港にさわぐ

あはれよの死にするときのとほからず光源氏をはぐくむことも

6月28日(金)

昨夜よりの雨はげしくも降り来たるこの雨中をゆくゴミ捨てにゆく

雨に濡れて下垂るあけぼの杉の葉を振り返り見るその水びたし

皐月つつじの枝繁りあふ垣の間のそこ濡れてあれば入りがたきぞ

斉衰(しさい)の者、(べん)衣装(いしょう)の者、瞽者(こしゃ)見れば孔子立ちあがる、必ず走る

嫌はれて在所も知らせぬ女がゐるなんともしがたしそのつれなさよ

近寄ればはなれてゆくか空蟬のつひのおもいにまどふわれなり

6月29日(土)

生誕の日を寿ぎての贈り物ただのチョコレート感謝のしるし

ほほ笑みてチョコレート口に含みたり甘さが溶けて至極の味なり

お互ひに年経たるものいつのまにか老婆、老爺に化けて出るごとし

顔淵はもうお手上げの状態に孔子は遠く天の上なる

二、三十首は数は少ない五十首・百首は数多いそれほど違ひがあるとは思へず

人がらのなつかしとこはれ忍び忍び濡らす涙を見つめられをり

6月30日(日)

昨夜降る雨に下垂るあけぼの杉葉々しほらしく幽霊のごと

幽霊の手を下げるさま真似たるかあけぼの杉の萎れたるさま

皐月つつじさんざんに枝刈られたり葉のなきところすかすかの枝

ひとたびは孔子治りてよからむか子路の(いつわ)り孔子を重くす

宇治に潜むをみなのもとへ木幡山越えてゆきけり恋ほし恋ほしき

死なせたる夕顔おもひわが手より離れし空蟬をおもふ秋なり

7月1日(月)

けふ行くは河原口郵便局10月の値上げの前に絵はがきを出す

10月に値上げするべき郵便局スマートレター10枚を買ふ

赤い口ひらいてポスト佇める郵便局はまるで魔界ぞ

美玉あればこれ沽らむかな沽らむかな買手をさがす孔子にてあり

匂ひとは事物の実体なににてもあるべきならむ鶯の声

紫のゆゑにありしぞ藤の縁いつかはわれのものと育てむ

7月2日(火)

二月ぶりくらゐ診察に病院へタクシー予約してをくお大臣さま

わづかなる距離なれど歩行ままならずタクシーを使ひメディカルまでを

タクシーの予約料金莫迦にならずされど変へがたし軀の弱りには

いづこへも孔子居られず九夷へと住まんとしたり何ぞいやしき

暮夏といふ語は聞きにくくして晩夏といふ暮春・暮秋の語あればこそ

こんなこともあるさとおもふ恋の道むずかしきもの女を探るは

7月3日(水)

花期終へしパティオはまみどりの世界なりそれぞれの木にそれぞれのみどり

よく見ればすずめの死骸細き黄色の肢よこたへて

いつのまにかすずめの死骸がもち去られなにごともなし歩道のうへには

魯に帰り楽も正しく雅も頌もところを得たりわがなすところ

土地により田植えの歌もあれこれとあるものならむ声も変はりて

あやまちとは思へど義理の母を恋ふ光源氏のすばらしきすがた

7月4日(木)

夜の卓に菓子煎餅がありにけり醤油に浸かりし茶の色をして

うつすらと醤油の匂ひ香らせて江戸前せんべいぱりぱりとかむ

煎餅に迫りて洋風菓子ありぬどうもうまさうだ洋風の菓子

公・卿につかへ父・兄につかふ。葬も酒もみだれずばわれにこそあれ

源氏、住吉、正三位、竹取、伊勢はすべて取るべし

梓弓入るさの山にまどひありほのかに月のかげに君ゐる

7月5日(金)

あまりにも暑熱・湿度の高ければこの軀溶けゆくもいたしかたなし

熱中症を怖れてぞ飲む清涼飲料水少し甘ければごくごくとのむ

ペットボトルぶら提げ歩むいつもの道に影いつもより濃きものならむ

逝くものはかくのごとくとおもひしも流れのやうにはいかざるものなり

夏になり衣ばかりは軽くなるされど心は春を慕へり

7月6日(土)

二、三の蚯蚓乾びぶをまたぎゆくゴミ棄て葉まで迷路ゆくごと

けふもまた蚯蚓乾びてなんとなくその肉色の見過ぐしがたく

なにゆゑに夜の内に路上に出てくるかそのまま乾びん蚯蚓の成虫

色好むごとくに徳を愛する人この世に見ざらむと孔子のたまふ

上つ枝に雪ふりにけりこれをこそ閑中の雪かとしづかにおもへ

いつのまにかかくもすばらしく成長せし紫の上こそたいせつにすべき

7月7日(日)

もんもんとものの芽どきをすぎたれど狂ひやすきはおのづからなる

さつきつつじの枝刈りとられその花の萎びたるをも摘まれたりける

あけぼの杉の枝それぞれに風にゆれ葉々の動きもそれぞれなりき

何を為すにも一簣が肝心その一簣をつづける止めるもわがことなりき

とにもかくにも多くの歌をつくること素早く歌をつくることなり

なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

7月8日(月)

狂ひやすき季節をすぎてしかしなほこの濃みどりの木々に溺るる

まみどりの木々に溺るるごとくなりあつしあつしの樹林出でたり

樹々の森に深く入り来て戸惑ふはここは迷宮出口はあらず

弟子のうちの回に対して言いへらく告げておこたらずざる者こそ回なり

いくたびも逢ひたくならむ藤壺をおもふ心にさくら咲き散る

いはれなき罪なきわが身とおもへばこそ鶴鳴きわたれ高空に飛べ

7月9日(火)

日の領域と影の領域のくきやかに分断されて影虐ぐる

けさもまたパティオはみみずの乾びたる死骸あまたに占領される

ガザ地区に滅ぶるもののごとくにて死せる蚯蚓の肉色の屍

顔淵の死を惜しむべしその進む道を見ざりきその止むを見ざるに

苗代の水田に降りる鳥々のあと絶ゆるなく時に鳴きつつ

むつごとを語り合ひたき人あるになかなかにこたへてくれぬを嘆く

このうらみ残してはならず宮柱太くし立てば女男神あひける

7月10日(水)

寝ねがたく夢みる老いの駆けてゆく郊外の町川流れたり

その夢にわれは追はれて廃坑の山をくだりぬここはいづこぞ

共に来し友に別れてここはいづこ建築物の多くはあらず

苗のまま秀でざるあり秀でても実らざるあり努力が肝要

蘭省の花のさかりに秋の夜のむらさめ降るを庵にかなしむ

住吉の社詣でにすれちがふなにはのことはかひなきものぞ

7月11日(木)

焼失前の首里城の朱を模写するにこの朱の色のまぎれなきもの

首里城へむかふ坂道をのぼりゆく塗師の古家など通りすぎつつ

沖縄の空青くしてときをりに米軍兵のパワーハラスメント

後世畏るべし然れども四十五十に聞こえなければとるに足らず

寄せきたる潮のやほあひ激しくも西へ東へ流れゆくなり

藤の花にまどひて訪ぬることあらずたまたま来たるわれならなくに

7月12日(金)

コンビニのカフェ・オレを買ひ夏の空にとびだしてゆくただ歩くため

カフェ・オレの冷たきを飲むうれしくてまみどり色を潜りゆくなり

たまたまに『源氏物語』開きみる六条御息所、葵の上呪ふ

みづからに法語、巽与の言学び改めざれば如何ともしがたし

草原の荒れたれば吹く北風のそそやこがらし今宵さわぎつ

空蟬もいつのまにやら関越えて尼にしなりぬはかなかれども

7月13日(土)

眼鏡の遠近両用レンズに見るゆがめる像はわがすがたなり

この遠近両用レンズに見ていればどこか歪みあり戦争映像に

昔のレンズ懐かしむこの眼鏡百鬼夜行をまたも見るかや

孔子の言ふ己れに如かざるものを友にせずだうしてここまで言ひきれるのか

夢にさめて長柄の橋をおもふなりこの身をなにに立てんつもりや

いつのまにか古りぬるならむ伊勢の海の夏のすがたの腐れたるごと

7月14日(日)。

刀剣を扱ふ商売わが夢のひとつとおもふ小説読みつつ

水出し珈琲のこの芳香を嗅ぎやればここはコーヒー国熱帯の里

時をかけて水出しコーヒーを抽出する香りよきかな黒ろぐろとして

三軍の帥は奪取出できても匹夫の志奪ふべからず

懐紙にも在家、出家で書き方に違ひあるべしやかましきかな

ひさかたの帝来ざれば月影もうすれとどかぬさびしくあらむ

7月15日(月)

樹皮破れてますぐなる枝に繁りあふ欅の葉夏の天蓋をなす

洞と洞つなぐ破れ目の長く伸び崩壊ちかきか一樹のけやき

うすみどり色に錆びたる幹のうへのけやきの葉むらに守られてゐる

身穢き者と平気でたちたるは由なり他には誰もかなはず

だんだんに窮屈になる和歌の道さまざまな体を詠むべきならむ

山の端の薄(にび)(いろ)にくれゆかむおもふ人けふみまかりしもの

7月16日(火)

コンビニにカフェ・オレを買ひ夏の雨じめじめ降り来さねさしの地に

カフェ・オレの冷たきを飲む爽やかにまみどりの森に傘さしてゆく

たうたつに『源氏物語』を想ひ出ず六条御休所、葵の上を殺す

子路と孔子わづかに違ひがあるものを良きことを求めよと孔子は言へり

あやなくも里に鳴く鳥時鳥その声きかむ林ひろがる

もつとも夢みてゐたき人なるにこの短さやなんとしぬらむ

7月17日(水)

礼をするごとくに繁るあけぼの杉雨降ればしとど濡れそほちつつ

雨に濡れしたたる葉むら下がりをりあけぼの杉のみどり増しつつ

湿り気にかすかな小田急小田原線橋梁わたる音も湿りて

破れたる縕袍を着て毛皮着る者とし立てど由は恥ぢざる

煙たつ室の八嶋をもる神もしらぬ恋するわれならなくに

春待つも秋待つもともに風にのりけはひ伝へ来るを待つのみ

7月18日(木)

27℃は暑いか涼しいか九階に風の通ればいささか涼し

じわっじわっ肌へを濡らすこの汗を人の証しと誇らしげなり

エアコンのスイッチ入れる目途とする28℃をたちまちに超す

孔子と子路のあいだに齟齬があり子路早世すれば孔子かなしむ

熊野道いくたび辿る険しさに慣れることなくけふも旅する

片敷のさびしさに絶へ唐衣うらかへしてや袖を濡らさむ

7月19日(金)

けさも地にだんご虫ゐるつまづきさうになるも虫は潰さず

鎧を丸めだんごのごときこの虫の沈黙こそが千金の価値

草莽を転がりだせるだんご虫敵とおもへばたちまち鎧ふ

歳寒くしてその後に松柏散らずみどり残れり

慈円を沙汰の限りと言ひ放つ一乗院門跡正しきものか

年月の松に誘はれ鶯の初音聞かせよ人は古れども

7月20日(土)

この道は滅びへむかふその自覚なくて党派の争ひばかり

まみどりの山なみ遠く見はるかす相模のやさしき色見ゆるなり

大山独楽を作る木地師の少なくなるこのまま経れば滅びゆくなり

智者は惑はず仁者は憂へず勇者は懼れずと孔子言ふなり

しばらくは馴れて逢はざるこの恋もわすれはてたるものにはあらず

強情ゆゑに好めるものかいくたびも源氏が贈る文に書く文字

7月21日(日)

けふも地にだんご虫ゐる突つつけばたちまちまるまる鎧装ふ

鎧のごとき甲に包まれ安楽かあんのんあんのん虫のつぶやき

草むらよりだんご虫アスファルトに這ひだして何処ゆかむ西方浄土

ともに学びともに立つことむつかしく権には遠くなりがたきもの

いにしへの寺の内なる御仏のやさしき笑みは忘れがたしも

身をこがし恋しと呼べる螢こそちかづきがたきよこの水へだて

7月22日(月)

虫喰ひの葉を拾ふてくれば心たのしバッグに蔵め帰りくるなり

少しだけ虫に喰はれて色変ず落葉にかがむわれぞたのしき

種類の違ふ木々より落つる黄緑や緑のひと葉ひと葉に嬉し

庭桜の花ひるがへるなかにして君をおもはん家遠くとも

浦風吹く社をおもふ長良山吹きおろすべし夏のやま越え

とこなつのなでしこの花に結ぶえにしたれをか尋ぬ垣ほのうちに

7月23日(火)

鏡の内の悪鬼悪相がいまのわれいづれのもののけかこのわれの貌

窓遠く初蟬の鳴く声きこゆどこかのみどりの樹に拠りて鳴く

根もとには蟬穴あらずあけぼの杉まだこのあたりから出でて来ざりき

郷黨には惇々としてでしゃばらず宗廟・朝廷には便々として

茶数寄でも茶飲みでも茶喰らいでもどうでもいいと言ひしか智蘊

篝火のゆくへ消すべしあまりにも熱き恋する人ありぬべし

7月24日(水)

大、小の蚯蚓のかばねさらされし舗道を歩むにつまづきやすし

いまだなほ生乾きなる蚯蚓あり裂けやうとして踏みつぶしをり

完全には乾かず縮むミミズ殿(どん)いつまでもそのままに残る

下大夫には侃々如、上大夫には誾誾如、君には踧踖如、そして与与如に

初心にはまじはり多くして歌を詠む上達すれば独吟もよし

吹き乱れはげしき野分の去りしのちしをれしぬべき心地こそすれ

7月25日(木)

このままに衰へ死する蟬ならむこころ残酷なるとおもへば、うごく

日の影にひつくりかへる雌の蟬しづかにしづかに触れば、動く

最期の鳴動せるか蟬の動きひつくり返るがいまだ生ある

賓客をむかへるときの作法あり満悦すれば賓かへりみず

いちどきに多く詠むには初一念にこだはりつづけることがたいせつ

いづれにしても唐衣と詠む末摘花からかひ気分に返し歌送る

7月26日(金)

虫喰ひ葉拾ふてくれば心楽しバッグにたいせつに蔵ひて帰る

少しだけ虫に喰はれし迹あれば色も変化す拾ひし落葉

一枚、二枚落葉それぞれに色変はるそのそれぞれを拾ひくるなり

王宮に仕えるときのありさまを『詩経』の文字に修飾したり

太陽を天つ彦といふうたひかたそれも可なりし「天彦」といふ

宮中の男あまたに見初められ玉蔓いづれの方を選ぶや

7月27日(土)

猿田彦にみちびかれこの世に生れしか杜の大木に降りて来たれり

真みどりの葉のうちに隠るる猿田彦神のすがたのおぼろに見えず

いづれあの世へおさらばをするわれならむ少し怯えて死の国のこと

享の儀式には容色ありて私覿には愉愉如たり孔子のふるまひ

七夕は裁ち縫はぬ日その他は機織り、機織る休む間もなく

宿離れてゆきにしわれを思ひ出でよ真木の柱に隠さうものを

7月28日(日)

揺りかう揺られ揺り揺られ遊びせむとやわれら生まれし

遊びせむとや、戯れせむとや生まれけりさてもいづくへ参らむものよ

うたふ声うるはしくして今様をうたふものあり白河の女

吉日には朝服を着て出仕する孔子うるさいと思ひけらずや

衣手の田上につづく琵琶の湖縹渺として波の音する

宮中にあまたの香がにほへども源氏の君のすがたにかなはず

7月29日(月)

あけぼの杉の下枝(しづえ)にすがる蟬の殻。蟬はいづくに消えしや。分からず

朝の日は透けてすがれる空蟬を照らしゆくなり光あるごとく

蟬声の鳴きてうるさき木のかたへ耳澄ましをりこの木に鳴くか

(ものいみ)には明衣、布なり。食変居を遷りてぞなすべかりけり

彦星の手がひの犬をとやこうや言ひても典拠を探すにかなはず

7月30日(火)

澁澤龍彦は三島由紀夫とほぼ同世代かくのごとき死を予想もせざりき

わが父は昭和三年生まれにて澁澤龍彦と同年なり三島由紀夫の死をかなしめり

三島由紀夫を論ずるに谷川渥さすが美学者薔薇をひもどく

冷蔵庫、冷凍庫のなき時代なりもの食ふことかくも恐れし

これもまたどうでもいいと思はぬか小さきことにこだはる正徹

源氏の君に嫉妬を寄するひめぎみたちその心もちこそ愛らしくして

8月3日(土)

蟬の声とぎれずに響く白樺の林を自動車(くるま)の窓開け(は)(し)

蓼科山の容貌みえて女神湖の宿りにしばし憩ふ幾許

蓼科山は美しき山。伊藤佐千夫も褒めたまひけり

鶯の鳴く声透る白樺の林に入らむしばしの間

みづうみをカヌーの列が漕ぎゆかむ向かうの林を映す水面を

席正しからざれば坐せずと言ふ孔子すこしくうるさくないか

隠国の初瀬の寺に参らむとあはれなりにし山ぶみにゆく

たへだへに病みし柏木に意地悪くふるまふ源氏さもあらむもの

8月4日(日)

ヘアピン坂を幾度も上り女神湖へしづかなる水の面なりけり

九十九坂を上りつめたる蓼科山。女神の姿に夕暮れにけり

牧場の遠くに牛の寝転びて尾を振り憩ふところ見えたり

蓼科の牧場に数頭の乳牛ありソフトクリーム舌に舐りて

郷人の内にも礼儀がたいせつなり飲酒、追儺にも礼儀あるべし

幽玄体をいかなるものとこと問へば襄王や女房に寄せて語りぬ

柏木の子を抱くわれの心のうちさしてはなやかならず嘉せど

8月5日(月)

あひる型のボートを漕ぎて湖心へとなにかが潜むこの水の内

時々に古代生物浮かびくる湖面に息するごとき水の輪

白樺の林を映し動かざる女神湖の朝みどり濃くして

他邦に人を訪ねさせるとき再拝しこれを送るなり孔子の礼は

家隆の歌には亡失の体あるを定家おそるる孫にて滅びむ

未練がましい柏木笛の音に寄りて姿あらはす夕霧の夢に

8月6日(火)ヒロシマの日

露天湯に浸かれば老爺も哲学者。メディテーションにしづむ裸身は

露天湯に見えて夜空の星あまたミルキーウェイ渡るすべなし

露天湯に首まで浸かりご満悦緊張感なき爺が五人

慎重に薬は飲むべし。いただいた薬はすぐには口には嘗めず

一枝の花もてあそぶ園のうち老爺の着物おとろへたるか

秋虫の鈴虫の音をいとほしむ人をりにけりいまだいとしき

8月7日(水)

直角にとんぼうが曲がる尖石。磁場の狂ひは縄文の地

杉の木の幹のみ残りされど立つ巨木生きてゐる千年のいのち

諏訪文化と八ヶ岳文化の重なりて尖石、ふしぎの蛇が巻く

厩焼けるに人のことは問へど馬の是非には触れずに孔子

数寄ふかく昼、夜わかぬ稽古ありさすれば大悟の道ひらけたり

源氏をも驚かすほどの息子の恋男盛りといふべきころか

8月8日(木)

尖石の土に眠れる土偶あり孕み女が三角顔して

スーパーつるやにおやきを買へばわれもまたみこもかる信濃の老人なりき

コシヒカリ五キロを背負ひかへるべし黄泉にはあらず科の国なり

潔癖なる孔子とおもふ。あれこれの賜りものへの対応みれば

秋果てぬ我を見むとやあの世より紫の上返りきませよ

8月9日(金))ナガサキの日

桃三つ取り待ち撃てば黄泉の国を逃れ出でたるわれにやあらむ

渋滞を避けて中央高速路。路面荒れ、跳ぬ。後部座席は

桃の実を二人で分けて語りあふ旅の終はりは少しさびしく

主君とともに食するときはおのれから先づ食すべし毒見のために

あんなにもひかりかがやきしその人もつひに果てなむ日もあるものを

小さき者よ恐れてはならぬ恐れざる者の前にこそ道は開くる

8月10日(土)

黄金蟲の廊下にしづかに死せるありきみに満足なる生ありしかな

まだ死んではゐない蟬がゐる触るればじじつとまだ生きてゐる

あいかはらずみみずの自殺つづきをりなまなましきよ死にゆくみみず

疾にあるわれを主君が見舞ふとき東向きに寝、朝服に帯

題のみに文章もなくて暗示のみ光源氏は雲隠れたまふ

けふ雨は驟雨のごとく激しくて土をたたきてふりやまずけり

8月11日(日)

キッチンの床にひろがるキャップの色五色に遊ぶやさしき妻が

母もまたフローレンス原人のなれのはてその骨格のいかにも小さし

たましひは明けのからすに攫はれてふがひなきなり老いたるわが身

命ぜられれば駕よりも先に君のもとへ参ずるならむ孔子先生

八少女はわが八少女ぞ神のます高天原に立つ八少女ぞ

御簾のうちの見ぬ恋ひをするをのこごの幼きを愛すその率直さ

8月12日(月)

山の民は炭を焼き、杣を刈る、また鹿を打ち、猪を滅ぼすあしひきの民

千年を土に埋もれてゐし土器ならむ蛇がしつかり胴を巻きをり

毬栗がみどりの栗の葉にまぎれその戦闘性まぎれなかりき

大廟に入りて葬の儀式にて行ふことを事ごとに問ふ

光源氏のかがやきにとほくかなはねど匂宮にもはなやぎはある

死のことを意識しつつも生きてゐるわれならなくに『妄想』を読む

8月13日(火)

蔦の蔓這ひだす河原土堤をゆくのらりくらりと足弱われは

石礫の埋もれし道を歩くなり百日紅の花散るを踏み

朝のひかり浴びつつ河原土堤をゆく大山につらなる山やまを見る

朋友帰して弔ひの場所なくばわが家の内に殯するべし

人はみなあらたなる花に心移すわれのみひとり闇夜にまどふ

革命を今の世に説く啄木のその覚悟やある頼もしきもの

8月14日(水)

土の中は安穏、あんのん幼虫のままにまるくなるいつ蟬になる

蟬の穴が一つしかない木の傍を寂しく見てをり土の平を

太き、白き蟬の幼虫奇妙なるすがたに埋まる土の中なり

尸のやうにはい寝ずとりわけてふだんは容儀つくらずにゐる

岩の音にとめし松の木恋ひしくてわが子を思ふ死の後なれど

この心切なるものよやりとげてとげずといふことわれになきなり

8月15日(木)敗戦記念日

大山にうす雲かかり霞みたり山のみどりも仄かに見ゆる

麦茶のペットボトルをぶら提げて川までの道石礫つづく

ポストより朝刊を取り九階へいそいそもどる一面見つつ

孔子のふるまひを上げこれこそが礼にかなふかやたらくはしき

山里の宇治いかならむつぼねたちの親しきさまを慕ふなりけり

隼人の夜声を聴きて心細きわれをたすけよ消のこる雪に

8月16日(金)

牛乳パックが涎をたらすおのづからシンクの内に乳牛のやうに

墨の香のするどさ部屋に充満す「志」とふ字を妻が書く

台風7号、関東地方に豪雨・強風手加減するな波浪も高き

車に乗りては正しく立ちて綏をとる内顧・疾言・親指はせず

玉の緒の長きを結びたづねこし君ありしかなこの朝ぼらけ

谷崎潤一郎前半期の『痴人の愛』痴人こそ人と小林秀雄言ふ

8月17日(土)

台風七号関東地方に近づけばそれなりに雨風激しくなりぬ

台風の豪雨の後は岡本綺堂『青蛙堂鬼談』を開き読むべし

外は台風の風雨なればう怪談の会は三本足の蛙が迎ふ

山梁の雌雉時なるかな時なるかな食すにあらず鑑賞すべし

さくら咲き月も出でけむ宇治の邸われ住みわびて年を暮らせり

さくら咲き人はやすめど春の風やむことなしに花散らせをり

8月18日(日)

腕時計のベルトを締めてさて征かむわれもたたかふもの言ひをする

手の甲の老班格段に増えてゐる衰へたるかわが身も心も

七十歳に近き老兵が役立つかそれでも意気だけは軍服着し

後進の礼楽にはつひに従はず先進の野心を好むべきなり

思ふ人のかさなる恨みこころに満つ中の君をきそふ薫、匂宮

暦上秋になれども猛暑なりひかへめなる秋なつかしきもの

8月19日(月)

めづらしく少しく早く人に会はず犬にも会はず孤独なる遊歩

相模川原までがけふのわが歩き砂利の道三百メートルを含み

朝に鳴く鳥の声愛らしく聞こえたりしばらく経てば鳴く鳥がある

陳・蔡に苦しむことももうとうに誰も言はざる時経ちにけり

形代を撫でものにせむ知り人を撫でたるものは頼りとやせむ

夜の雨ひそかに濡らす草林に分け入らむとすうるほいのもと

8月20日(火)

時として孫の笑顔が癖になるわれも(ぢいぢ)、妻も(ばあば)

頼りなげに長く歩きてふり返る笑顔、真からの孫の笑顔

不可思議の神の宿るか孫の笑顔まんめん笑ふわらひ崩れる

それぞれに得意分野があるものを孔子その弟子を指定したまふ

わが骸いづこにとどめむわからねば君もうらみむ宇治のはてなり

やなぎの葉、みどり流れて春がくる若ものよ大声に素晴らしきことを

8月21日(水)

あけぼの杉の下枝に残る空蝉はいづこへ征くか戦ひのため

裏返り蟬死にするか彼方(あちら)此方(こちら)に不可触の蟬の尸ありき

廊下には天井灯火(ライト)に照らされて蟬のしかばね裏返りをり

顔淵はわれを助くるものに非ずされど従順によろこびしこと

鬼人のごとく空より人のもとにくる素早きものを思ひみむとす

8月22日(木)

雲多く青空すくなき新宿を伊勢丹方面に歩みゆきけり

雨降れば伊勢丹デパートに入り込む高級化粧品を覗きつつゆく

伊勢丹の食料品売り場へ降りてゆく「とらや」の前に暫しとどまる

義母、義兄弟間には確執があるされど閔子騫は不平ももらさず

生き延びて憂き世をめぐる浮舟に春や来たれりそれかと匂ふ

甲州盆地にも春がくる旅芸人ら驢馬につれられ

8月23日(金)

わが丈より高きひまはりの黄の花のやや萎れたり夜明け前なり

相変はらず百日紅の朱の花を踏みつけて今日も川までの道

よろぼふは吾の守神このままでは滅びてしまふ吾を見尽くして

ううんなんだらう孔子のこのお節介まあこんなことも時にはあるか

途絶へする夢の浮橋をわたりかね恋のみちにも逡巡ありき

桜の花散りかひ曇る川土堤をゆきつ戻りつ死なんとぞ思ふ

8月24日(土)

大山には薄雲かかり朝焼けて桃色に染まる小さなる雲

大山につらなり、背後の山々は黒雲流れ雨も降るらむ

わが背より高きひまはりと膝丈のおしろい花咲くわがゆく(こみち)

顔回を遠く偲びて孔子いふ学を好めど今はもう亡し

老妻をぬすまむ人のありしかも/そんな夜あれば待つべしわれも

8月25日(日)

暑き、暑き日の延長かこの暑さこの湿気こそただごとに非ず

この暑さに蕩けてゆくかこのからだ老いてぞ干乾らぶるこの貧の身は

暑さの中を歩けばおいおいに蕩けゆくわが身も心も小さくなりぬ

顔淵の死すとき父の顔路いふ孔子の車を椁とせざらむ

わが妻に恥づる日あらむいまの夜にはいびきてねむる古妻ならむ

8月26日(月)

椿の実のいまだ固くて思ひ閉ず言ふこと抑えいまはゐるなり

中庭にさかんに叫ぶ赤き花さるすべりの木ををすべる人やある

明け烏電線の上に鳴き叫ぶその悪声のあたりにひろがる

顔淵死すああ天われをほろぼせりもう一度言ふわれを滅ぼしたまふ

伊吹山のごつつい姿が目に浮かぶあるがままにあるこの美しさ

8月27日(火)

大山につらなる山々の低きところ白雲棚引く横にひろびろ

夏のみどりと棚引く白雲大山の山麓は色くきやかにして

夏やまのみどり濃きところ朝の日に照らされて()しき相模の山は

顔淵の死を嘆じたる孔子なり哭して慟する例のなきこと

佐保神の陰を覗かせ風にくるやさしくわれを吹き撫でてゆく

8月28日(水)

全天を雲が覆ひて朝焼くる不思議の色なり杏の色合

どことなく奇妙なる気分あたりには杏色した雲に包まる

杏色の朝明けてくる雲のした人間の動き妖しく映る

顔淵の死の衝撃を隠さざる孔子の嘆き尋常にあらず

さくら散る木のかげにたたずむわれならむ今宵はあるじとすくなき花を

8月29日(木)

狭つくるしい雲と地平のあひだをば朝の日が輝るしばしなれども

いたやかへでの夏の葉に昨夜降りたる雨しづく垂る

濡れて重き百日紅の花を踏むぎゅつと雨水周囲に滲む

「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」孔子の言ぞ忘れ難かる

雲と地の狭きところに昇りくる朝のひかりの遠くかがやく

8月30日(金)

歌仙巻くたのしさは伝はりくるものの文化・伝統・時代やいかに

朝から大粒の雨ふりそそぎさがみの野辺は水がうるほす

病院脇の用水路の水。暈たかく轟々と流るあやふし、あやふし

孫を呼び孫可愛がるわれならむ犬猫よりも愛らしきもの

8月31日(土)

ベランダに雨が当たれば輪をえがく大小ありてリズミカルなり

大小の水の輪つくりベランダに雨降るときを踊りだしたき

わくわくとした気持ちにて台風を待つときの心に昂ぶりのある

魯の王はおそらく何も言はざるに言へば正しきもの申さるる

さう遠からずわれのいのちも消えななむ思へばどこか寂しくあらむ

9月1日(日)

歩きゆく路に小柱ならび立つ人のごときか雨にかすみて

明けのからすが彼方此方に叫び鳴くやかまし、やかましここは異界

蛇口よりしたたる水の少しだけ冷たく感ず秋近づきぬ

子路のことを貶すやうなることを言ふ孔子さにあらず子路ほめたる

いつかまたここに逢ふべきと思へども友いまはなし涙ぐみたり

9月2日(月)

むらさき草の雨露ためて水したたる草葉を濡らすすがたぞ愛しき

秋萩の赤き花咲く放恣なる枝の動きに従ひ揺るる

みはるかすみどり昨夜の雨に濡れ朝のひかりにひときはかがよふ

子張と子夏いづれかと問へば「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」

鎌倉の大佛はあまり好まねど体内に入れば鉄の空洞

9月3日 迢空忌

朝曇りの空にうかび()大山の稜線くきやかにして夏の山なり

ベランダに見晴るかす空飛ぶ鶺鴒上って下る軌跡を描く

三川は今日も泥色。水暈はすこし衰ふ、されど激しき

冉求はわが徒に非ず鼓を鳴らしこれ攻むるべきなり

万緑のさがみ大山遠く見て泥色の川をわれ渡りゆく

9月4日(水)

雨露、雨露と昨夜の雨のしたたりかあけぼの杉、椿葉が濡れてゐる。

おはやふと声を掛くればおはやふと応じたるありたのしきものよ

森羅万象いづれにも生と死やあらむ千年、万年変はらざりけり

弟子のこときびしく事問ふ柴・参・師・由これ愛するゆゑか

う~むなんだらう茂吉にも大西巨人にもありし性差別

9月5日(木)

天井の二基の灯火(ライト)に照らされてわが影二つ濃淡がある

天井灯火(ライト)に照らされて濃き影あゆむ薄き影付きて

われとわが影ふたつのうちのどれがわれなる惑ひ惑ひき

顔淵と子貢を二人比ぶればどつちもどつちかあれこれ言へど

ほととぎすことしも聞こえず過ぎてゆくあやめも知らぬ鳥鳴く声を

9月6日(金)

わが額に格子模様の影映る囚人の孤独われのものなり

オリジナルハーブキャンディの箱鳴らしわれは()()なり叢に入る

むらさき草のあまた花咲くところありこころなぐさむやさしさありき

善人の在り方について孔子に問ふ「跡を践まず、室に入らず」

もの思ふときこそ箕坐してなにとなく舟に揺られてゆくごときなり

9月7日(土)

細き小径にお歯黒とんぼがわが方へ来りて人間を避けてとびゆく

わが朝に歩む径なりとんぼうがオシロイ花の上をとびゆく

九二歳のわが母と六八歳のこのわれと六四歳のわが妻が同じ時間に夜中のトイレ

先賢の迹を踏まずて何なせる奥義に入るには日々努力せむ

悲しみも嬉しきこともこもごもにありし世ならばまあよしとせむ

9月8日(日)

うす暗き空の(はたて)をめざしつつひがしへむかふ鳥の群れあり

もう秋と思へど猛暑の昼になる百日紅のいつまでも紅

百日紅の花蹴り散らしけふもゆくかなたへの道遠々しきに

弁論の篤実だけでは君子の人かうはべのかはよくはわからず

用事もなく呼ばれもせぬに訪れてなんとも不思議な思ひに游ぶ

9月9日(月)

軽やかにティシュペーパーのとび交へる部屋内にたぬし踊れるごとく

ティシュペーパーの二、三枚跳びてわが息塞ぐいきほひ

ティシュペーパーを三枚つかみ老いわれの鼻水を拭くなさけなきもの

教育者孔子のふるまひ子路と冉有同じ問ひすれど一様にあらず

低き雲にときをり光るものありて雷鳴ひびかす夏は来にけり

9月11日(水)

無有境をさまよふごとき三日なり謎のコロナに筋肉衰ふ

なにもない気力衰ふこの病ひ歌を作るもかたち違へり

もの食ふも真の味ではなささうで口に押し込むけさの食事

鮭の切身おそらくいつもの味と違ふただ黙々と口に押し込む

いつからか味覚の減衰を感じをり熱ある頭に思考めぐらす

熱のある頭動かずいつのまにか眠り込むらし布団かぶりて

スイカ食ふにスイカはスイカ常の味とさうは変はらず甘さを感ず

自民党総裁選の若手候補たたかひ経ずば未来託せぬ

咥へたる爪楊枝ふきとばす紋次郎なぜかしたしき上州の郷

つまやうじは元気いつぱいゴミ箱にちりがみなどと借りの宿り

子猿のやうなるものが夜の闇にかくれて覗く老母の目玉

ぬつぺらばうの日々がつづけばわれもまたぬつぺらばうなり愚鈍のままに

水に飲む薬いくつぶ朝十三昼に四粒夜は八そして寝る前二粒飲む

わがからだからものの饐ゑたる臭ひする病体はけだものの腐りし臭ひ

9月12日(木)

寄生虫を誰もが持ってゐた時代鯨油ゼリーも役に立たず

寄生虫に興味を持てるは時代かも回虫、さなだ虫われらは飼ひし

虎子さんの娘がきはめんと思ひたる寄生虫学まなびて多し

匡の危機に回が遅れてやってくるおまへは既に死んだかと思ふ

なにとなく後家の色気にあてられてわれをうしなふ青年もあり

9月13日(金)

もうとほに役に立たずにぶらさがるのみのペニスをいまは愛ほし

ぶらさがりこよひもぶらぶらもてあますただ尿するのみのわがペニスなり

男の物ただぶらさがるものにしてあなやしたしむわが老いの性

季子然には企みあるを見抜きたる孔子は由と求を守る

いのち曝しきることとても難しく唯々諾々とわれ朽ちはてぬ

9月14日(土)

大垣行の夜行列車のボックス席ひとり占めして眠りたりけり

姿勢窮屈に眠るがゆゑに大垣の駅のホームに伸びをしてゐる

大垣の駅のホームの水道施設順番を待つ顔洗ふとき

孔子先生の身の潔癖さ子路のことも佞者とにくむさてさていかに

帯屋長右衛門、信濃屋お半と心中す桂川にてお半背負いて三途の川へ

9月15日(日)

新宮より天王寺への夜行電車一晩過ごす寝たり起きたり

天王寺より途中紀伊田辺を降りたるに南方熊楠を調べたりけり

新宮に速玉大社を拝みて佐藤春夫の記念館ゆく

曾晳が最後に残り孔子に問ふつつましやかがたいせつなこと

草の庵に夜の雨ふりて涙する遠く聞こゆる山ほととぎす

9月16日(月)

まだ落ちず赤花のこる百日紅指標のごとく角かどに立つ

曲がるところに指標のやうに咲きさかる百日紅あり目指して歩む

足弱のわれにも道に落ちてゐる赤き花見ゆその上を踏む 

顔淵との「仁」のやりとり議論好きの孔子喜ぶ生気のありし

調子よくうなる広沢虎造の声に煽られ石松が泣く

9月17日(火)

薄灰色 に大空は雲多くしてけさは晴れ間も見ることなしに

雲の端より間違って落つるかポツンポツンは淋しくあらず

パラソルを空にひらけば音がするタタタンタタタンタンタタタン

仁といふは厄介なるに仲弓は不憫なれどもこの語に励まん

烈しい歓喜に酔ひて跳ぬる魚ただ恥知らずの誠実に跳ぶ

9月18日(水)

荒川洋治の文庫紹介たのしくて読みたくなるがそれほどは読めず

このところめっきり落ちたる読書量ひと月に七冊読めばまよし

むつかしい書物のみにあらず小説の類も数へ月に5冊か

仁を為すことの難しさ実践もなすこと難し言ふに訒なれ

芸術家のたどりし道の険しさのたとへやうなし傑作出でず

9月19日(木)

黒雲の急に来たりて突然に風雨はげしく雷も閃く

遠方に雷鳴響きたちまちに光の下る尖りものの横

忽ちに雨量増したる川沿ひの道に沈みし軽トラック

内に省みて疚しくあらずは何を憂へまた何をか懼れむ

文章に宿りしもののきびしさを川端康成に言ひ当てたりき

9月20日(金)

さつきつつじの苗木に絡む蔦の先ひるがほの花はかなげに咲く

枯れ木の影のごとくに存在感うすきは老いのわれならなくに

もの言はぬ石の地蔵に並び立つわれに似る像よだれかけして

兄弟のなくて哀しむことなかれ君子は四時みな兄弟なり

死病得て迷ひありけり死といふもさう遠からず人にあるべし

9月21日(土)

ラピスラズリ凝りし色を掻きとりし聖なるものをわがものにせむ

秋の枯れ葉音立てて散る城砦に冬眠準備扉閉めゆく

春の日の目覚めをおもひ冬の眠りの準備に入る人形たちは

悪口やひどいうったえをほぼ聞かず明と遠とを全ふすべし

おのづから散りゆく秋の桜ばなくれなゐの色ものがなしけり

9月22日(日)

冬の眠りに安穏の日を過ごしたし天皇制の在ることを憎む

一木一草森羅万象にひそみたる天皇(すめらみこと)を忌むはわれなり

天皇制がつくる貧富・正邪を許せざる長き世経ればわれも老いたり

政にたいせつな物は民の信、軍備にもあらず食糧にもあらず

懸命に蟻は幹の上をのぼりゆくその懸命は蔑しがたしも

9月23日(月)

朝方は小雨なれどもほぼ全身濡れて歩くには難儀なりけり

傘さして歩くは本意ならずしてただ雨濡らす木々をみてをり

百日紅の赤き花まだ着けてゐる木下歩めり足弱なれど

衛の国の大夫の言はんは質朴にあればは子貢には頼りなきもの

今年ばかりと思ふときわれにもあるものをこの幾年か年暮るるころ

9月24日(火)

けさもまた体幹ゆれて迷歩するこのざまがいまのわたくしならむ

封書一通、途中で贖ふ麦茶持ち大山は白き雲に隠るる

やうやくに朝桃色に明けてくるひかりの中をふらりふらり

万民の言ふこと聞かねば王に足らず聞く耳をもつことがたいせつ

佐藤春夫のこの手の詩には反応せず花火も淫蕩な女もわがものにあらず

9月25日(水)

朝まだきにちちろちちろと鳴く虫の下草に隠れ居場所わからず

下草のおどろが下に鳴く虫のちろろと呼べばちちろと応ず

けさもまた体幹ゆれて定まらず足弱かさなりふらりふらりと

忠・信を経て義にいたるこそ徳をたかめん死を欲するは惑ひなりけり

しみ入りしは蟬の声なり木々めぐり枝にすがりて蟬の鳴く声

10月20日(日)

高熱に意識失ふわれなれどめぐり阻むオレンジの服

オレンジの救急隊員にはげまされ名を問はれても応へ得ざりき

斉の景公、孔子に問ふに応へたまふしかるに孔子の本意分からず

八月十五日が来るたびに戦争に征き死なざるものたち

10月21日(月)

発つ時に百済観音すくと立つ娘のすがたおぼろけならむ

わがね眠る傍に添ひ椅子に座す妻端然たりすぐまた意識なし

いつのまにかオムツに換へられ点滴に繋がれてまた病人ならむ

歯ブラシをコップに入れてベッドの上身動きならず含嗽してゐる

孔子の弟子の中でも子路は優れたり片言をもち訴へを定む

丁字の香。強き香りを匂はせてここは往にし世いつか変ぜし

10月22日(火)

掛けてゐたメガネを無くし高熱に魘されたるかわれわれにはあらず

やうやつとメガネ取り返すわれならむオムツに尿をもらす老い耄れ

隠形にならひてひそむベッドの下いづれは外の明るき世界へ

訟えを聴くことあらむ訴えの無きがよきなりと孔子のたまふ

10月23日(水)

これの世はかくもいつもの俗つぽさ自民党総裁選など行はれしか

熱下がらず悶々とベッドの上に棲むこここそがわれの病牀六尺

正岡子規の歌に心を直くして季節を越えて生きてゐたし

そこにゐて倦むことはなくただ忠をこころがけたることぞよきなり

この国の女を好まずと言ひながらこの国の女を愛する啄木

10月24日(木)

マスクかけて妖しき風体のわれならむ余儀なくトイレの前に倒れき

手品師の集団のやうに倒れたるものを囲みて守らむとする

この日より点滴棒と看護師に付き添はれゆく夜のトイレに

書物を読み礼の実践にてひきしめれば道にそむかずと孔子のたまふ

人災は人災としてアメリカに抗議すべきをおこたる日本

10月25日(金)

病中食なればか塩分すくなくてコロナの残余か味覚常ならず

かぼちゃの煮物が発する黄金のひかりありわが視覚甚振る

粥すくふ箸にとまどふ口中を粒つぶれ匂ふ魚沼界隈

孔子のたまふ君子は人の美をなすが小人はその反対ならむ

秋の空に真直ぐに立てるあけぼの杉風強ければ葉々散りにけり

10月26日(土)

秋の日の夕焼空をいろどれる白、灰、桃色、橙もある

天井には大裁判官が袖ひろげ何かのたまふ偉さうにして

いつまでものらりくらりと良くならず微熱のありて足はふらつく

政治とは正なりあなたが率いればたれか敢て正しからざらん

わが生も十日の菊とおもふなりなべて遅れてあとを追ふばかり

10月27日(日)

点滴棒を立てて看護師したがへて水戸黄門か髭をなでつつ

病廊を歩く稽古の始まりぬ行って反ってまた行きて来る

今朝もなかなか微熱が去らぬ病室のベッドに暮す一日なりけり

季康子は盗を怖るる苟も不欲なりせば懼るるにたらず

神奈備の杜ふかくして鳴く声の諸鳥を聴き判別しがたき

10月28日(月)

雨降れば遠山並みの雲の中誰か越えけむ果無山脈

修行者(すぎょうざ)のごときと道にすれ違ふ夢なれど峠越えてゆくとき

「虹計画」ひそかに企みありしこと小田急線が音たてて過ぐ

君子の徳は風にして小人の徳は草なりき草は風に必ずなびく

姉崎嘲風佳耦をむかへ扮蘭たりしかるに今も「はいね」読みをり

10月29日(火)

読んで語る荒川洋治の講演録たのしき世界へわれらを連れて

文学の空気のあるところ彼方此方に探せばまだある昭和、平成

『水駅』の箱入本がわが自慢渋谷の街に手に入れにけり

達なる者は邦にありても家にありても必ずきこゆ

聞なる者はうはべこそ仁らしくして評判ばかり

たちつくしひとをおもへばかなしくてわかるることのたしかなりけり

10月30日(水)

雲古でてため息ついてこれの世にああ生きてゐるたのしきろかも

さねさしの野は観るかぎりロジテックス・物流倉庫ばかり色気もなくて

コーヒーのカップ片手に九階の窓に見わたすさねさしの野を

卓上に湯気たちのぼる珈琲の香りただよふ朝目覚めたり

舞雩(ぶう)のもとに樊遅(はんち)もの問ひ孔子応ふその問ひこそが徳に非ずや

慨然として憂国の気ある江馬細香扱ひ難きところあるべし

10月31日(木)

われが()にまつはりきたる蜆蝶小さきものは誰がたましひ

清らなる水色の蝶まつはり来今泉重子汝がたましひか

曇天にくろぐろと立つあけぼの杉夕暮れなればあやしき葉むら

樊地には孔子の言はむつかしく子夏説くところ具体的なり

金木犀の香りも失せて秋になるなぜかさびしき夕暮れ時は

11月1日(金)

手の甲にも老班があるいつのまにか老いの極まるわれにあらずや

陰毛にも白きと黒木が混じりをりああわが軀老いたるかなや

夜に起きる回数ふえて年寄りと気づくわれには妻もおなじく

本当の友なればいつか気づく。さにあらねば則ち縁をきるべし

たひらかなる世を望みたるわれなれど時にテロルを思ふことあり

11月2日(土)

午前四時に覚めて起きだしトイレへ向う老い耄れならむ

青き蜜柑、剝けばすっぱい香のあふれ運動会のかけっこ思ふ

わがメガネに寄り来る小さな虫がゐるあやまりて潰すその黒き虫

君子なれば文事によって友を得てその友をもち仁を輔くる

岩鼻の上には月の客がゐてひとつのものを見つめつつあり

11月3日(日)

香薬師像、新薬師寺より失はれいくとせ経たるかその像見たし

坐に座る大日如来の像の写真妻の視線を釘付けにせむ

いく枚かの絵ハガキみやげに帰り来し妻よやさしき目をして微笑む

政を問へば孔子の答へ率先し労ふことと倦むこと無かれ

秋草の寂びてわびしき道をゆくひとりにてあるか老いの友なし

11月4日(月)

高熱もウイルスもからだを去りたまふ少し身軽に足踏みにけり

窓の外に小さき虫の動きありなんとかしやうにも手がとどかざる

雨降ればけふ一日の暗くしてさねさしさがみの野も霧のなか

焉んぞ賢才をりてこれをひきたてるこれが政治の要諦ならむ

耿々と月の冴えたり野のなべてかげ濃き秋の夜にやあらむ

11月5日(火)

まだ刈らぬ田を持つものの如何せむ黄金の穂の重く垂れをり

点滴を終りて内服カプセルにこれが大きい喉に閊へて

一室に六十代二名、七十代二名、この七十代がとんでもないのだ

弟子なれど子路は野なるや仕へしは君子なればや名を正すのみ

剃毛されしに手術まにあはず三鬼死す

11月6日(水)

風にゆれ、枯れ葉舞ひ散る欅なり黄色、茶褐色の葉を落としたり

公園の中央に立つ欅の木秋なればつぎつぎに葉を散らしをり

靴底に踏めば底ごもる秋の音けやき落ち葉のかなしきさ鳴り

楳図かずおよ死んではならぬもつともつと()を怖がらせ恐怖を呼ばふ

樊遅はなんとも小人なり稼や圃などと細かく言ふな

知らぬまにはつきながつきすぎてゐるいつか夜寒にひとりさめをり

11月7日(木)

湯河原の源泉掛け流しの湯に浸かりしばしのあひだ夢に游ぶ

紅葉にはいまだ早くて宿の窓風に吹かれて青き竹藪

竹藪を目路にたどれば青き空狭き空間にひしめく白雲

11月8日(金)

湯河原敷島館からタクシーにくだりくる町は常と変らず

湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

小田原にロマンスカーを待つあひだうらやましきは会し方々

11月9日(土)

鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

朝の湯は誰一人なくわれのみに湯に浸りしたたる湯の輪みてをり

あしがりの川の檄湍の音を聞き湯に沈みをりこよひ心地よき

湯船には仲間とおもふ人らゐてたのしきものよあしがりの湯は

11月10日(日)

もう疾うに尻から消えし蒙古斑なにかうしなふその青き痣

蒙古斑がいざなふところに于きたしとおもふ日ありぬ(おいぼれ)なれば

いまごろになぜ思ひだす蒙古斑その青痣を見し父も亡し

蒙古斑のある幼子の尻たたくわが老い人の尻に移れと

蒙古斑失へばその魔法のごとき力も失せて凡人になる

詩経三百編を暗誦するはあたりまへ政務も使者も能はざれば無ぞ

深ぶかと山林をゆけばおのづから旧き秋らに交ざりゐるなり

11月11日(月)

湯河原の源泉掛け流しの湯に浸かりしばしは夢に游ぶわれなり

紅葉にはいまだ早くて宿の窓風に吹かれて青き竹藪

竹藪を目路にたどれば青き空狭き空間にひしめく白雲

鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

浴槽(ゆぶね)よりこぼるる湯量をおもひをりこの湯に浸かるわれの体積

病みて後かくも衰へしわれなるか大腿骨に筋肉あらず

朝の湯は誰一人なくわれのみにつぎつぎにしたたる湯の輪みてをり

あしがりの川の激湍の音を聞き(おとがひ)まで沈むこよひたのしき

湯船にはわが仲間たちの喋りごゑたのしきものよあしがりの湯は

湯河原温泉敷島館からタクシーに下りくる町は常と変らず

湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

孔子先生のおっしゃることのもっともなり身正しからざれば民従はず

古松を吹きすさぶ音と激湍の流れの音の不穏なり

11月12日(火)

ここがどこかもわからず常に部屋を出て車椅子に座しただ茫とゐる

コルセットを勝手に外し歩きだす会社に行かねば爺妄言

『棺一基』、『世阿弥 最後の花』を読むわが病牀に付箋をはさみ

魯と衛の国の政治は兄弟のやうに似ているこれ真似るべし

乳房にはあれどもなくとも力ある「妹の力」も「永遠に女性的なるもの」も

11月13日(水)

大道寺将司の獄中に作りし句情けあり怒りあり喜びもある

佐渡島に遠島申しつけらるる晩年の世阿弥に終の能の花咲く

落ち込む地獄の闇は深くしてくちなはがとぐろを巻きて襲ひ来

孔子曰ふ衛の公子荊は着財のうまくていつもひかへめでよし

冷たくて呼び止めたくても呼び止められぬ秋の稲妻のやうな美がある

11月14日(木)

枯れ落葉、乾反葉踏みて歩みゆく欅枯れたる木の下をゆく

木の下をゆくとき黄色き枯葉あればはらはらと散る手のひらに受く

片側に乾反葉たまる径をゆくああこの道は魔界への道

一国の基盤は人なり人口を増やしてこれに教へんことを

ひややかにみづをたたへしみづうみにこのあつきみをなげいるるべし

若き日の夢の一つを思ひだす大和の国をあまねく廻る

11月18日(月)

街路樹の高木の欅の葉は落ちて茶色に色づく乾反葉を踏む

ちらりちらり欅の散る御池通り足弱のわれと妻が携へ

旧友二人と料理屋の個室に会をもつたのしき時間たちまちに過ぐ

かりそめに孔子を用ふる者あらば一年にしてよろしきが三年あらば十分ならむ

一葉女史の死を弔ひて鷗外もわかき薫園も惜しみたりけり

11月19日(火)

古き京の烏丸御池の四辻に欅落葉の堆き暈

京都には異人多くして飛び交えることば判別らずいらいらとする

大きビルの一階部分の小スペース本格的な蕎麦屋へ入らむ

しかしながら百年の政があるものかあばれ者も死刑もなくなるといふが

一葉の使ひし井戸のここにあり昔むかしに妻とゆきしが

11月20日(水)

笑ひ茸、泣き茸、怒り茸、迷ひ茸、死に到る茸なべて毒あり

紅葉の季節は毒もつ茸の季節またひとり森より迷ひ出でたり

狂ひやすき人は狂ひて踊りだす月のある夜は茸が笑ふ

この世では王者になりても一代後はじめて仁の世の中になる

宮城野のすすき原ゆくわが父のたましひか銀の蓬けたる影

11月21日(木)

大空をさざ波なして退きゆかむ雲の末端にひかりありけり

黒雲が灰色となり雲ほどけ青き空みゆ大山絶巓

峡ごとに白雲溶くるごとくなり山肌低く流れゆくなり

いやしくも身を正しくせば政のおいても恐れることなし

晩年まで老いずにのぼりつめるがよいかおのづからに任せることもよいではないか

11月22日(金)

妻が淹れし珈琲の香のたちのぼるキッチンを通るときの華やぎ

カフェラテすすりベランダに国見したりき野の果てを見き

野の果てに大山連山つらなりてところどころに紅葉も見ゆ

政務あれば吾れをば呼ばむ事務なれば冉子ひとりで対処するべし

いつの世もさきに死ねばか敬したるおれがいふ死んだ奴はバカだよ

11月23日(土)

権力に逆らひ生きて六十年余気概だけはあるこの耄碌にも

死んだ奴はバカだと言へずに過ごしこしこの三十年慎ましくして

寒くなれば広葉樹枯れ木の葉落つ公園をめぐる足弱老人

君主の心づかひ次第にて邦を生かすも滅ぼすも一言

ああいつか冬来りなば春遠からじとおもへるやうな心でいたし

11月24日(日)

京の街をお寺めざして歩みゆくどうも仮の世をゆくごとくなり

夜の闇にまぎるる歩みこの闇のさきにもっと深き闇を降る段あり

この木々がすべて紅葉黄葉する京を歩けばわれも狂ふか

葉公政を問へば孔子応ふる近き者悦び遠き者慕ひ来るやうにせよ

わが友も老いにけるかな七十歳を越したる人の皺多き顔

11月25日(月)

三島由紀夫が自決して五十四年経つわれはなにもの

なにものでもない老いが三島・森田を忘れ得ずこの青天に感傷すべし

部屋中に飾りてありし花束も三島・森田を弔ひて咲く

孔子曰く宰となりても成果、小利を欲するな問ひ欲すれば何事もかなはず

伊藤佐千夫に滅びむとする予感ありその作る歌まことうべなり

11月26日(火)

いきどほろしきことの多くて屈託のあれば忘れず記事を取り置く

くしゃくしゃに丸めて捨てたき気分ありSNSをめぐりたる記事

いくたびの反意に応ふ選挙戦まともに戦かふ覚悟決めるべし

正直とはむりにかまへず父と子の思ひあふ姿をたいせつにせむ

まだ雪に早くして大山の奥の宮いただきに在りて街を見わたす

11月27日(水)

ふだらくの海をただよふ桴舟そのゆくすえは見定めがたし

那智の滝の落下するさま凛冽としたればこころ直しくならむ

補陀落に渡らむとする心情をどこかで納得してゐるわれか

「仁」を問へば恭、敬、忠、夷狄にゆくとも棄つべからざるなり

秋聲の小説を読むそれぞれのカップルの妙描写されたり

11月28日(木)

わがからだに綻びのあることを誇る老い人を蔑する視線ありけり

桜木の若き枝より散り落つる枯れ葉の色のうつくしかりき

桜葉の落葉を踏みてたのしもよ子らに雑じりて葉を踏みつぶす

子路の問ひしつこかれども丁寧に孔子応ふる政治の善し悪し

かさりこそり欅落葉を踏みしだくこの公園のあかるきところ

11月29日(金)

三日月の雲無き夕べの空に浮く群青色にひかりのごとく

針を刺すごとくに月の鋭きに縫ひ合わさるる群青の空

夕ぐれて高きに浮かぶ三日月たうてい手にはふれざるものを

中庸の人なくば狂、狷を求めるべしと孔子言ひにき

伝神のむつかしきことを知るべしや形は似やすけれども志は難し

11月30日(土)

いまもまだ小春日和といふものか今日の陽気はこの語にふさふ

空を飛び青空のかなたの白雲にまぎれて飛べる白鷺が見ゆ

さくら紅葉の風にとばされ路上には枯れ葉紅葉葉あまた落ち敷く

南人のことばを意味のある事と孔子のたまふ占ふまでもなし

物を書く疲れありけむ東京の空のした島木赤彦のため息

12月1日(日)

師走一日曲り角には柊の白き花あり冬が近づく

葉の先に刺のごときに鋸歯がある近づきがたし柊の垣

鋸歯あれど柊白き花香るこの匂ひこそわがものなりき

孔子、端的にのたまはく「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と

行く年や早春展墓とゆくものか父ひとりのみの墓に詣づる

12月2日(月)

軒近きところに見ゆる青空に淡き雲浮く夢のごとくに

あけがたの雲多き空を見はるかすひむがしは闇いまだくらきに

柊の小さき白き花あまた香る道まがり冬に入りゆく

郷人が皆これを好む、あるいは悪むいづれにしてもよからんものぞ

しをり戸もいまでは見かけず両袖におもく降るかもさくら紅葉葉

12月3日(火)

おとろへて瑠璃の浄土をおもひをり心弱りかさうでもあるまい

褐色の多く雑れるあけぼの杉じきに冬木に変る木の下に立つ

(はちす)の弁のつらなる円形の(うてな)に坐す大日如来のきびしき表情

君子をば説ばしむること難し道以てこそよろこぶものを

雪のふる時少なきにふりだせば心はなやぐ、かなしみもあり

12月4日(水)

池におよぐ鯉食ふこともなくなりて泥臭き身を喰はずてもよし

赤白の鯉の泳ぐに餌をやるわが足もとに鯉があつまる

集団になりたる鯉のおそろしさある鯉は全身を宙に踊らす

孔子曰く君子は落ち着きいばらない対して小人いばっておちつかず

外面如菩薩内心如夜叉若きをみなはみなかくのごとし

12月5日(木)

山茶花の花の白きが五弁にひらく冬の賜物この美しさ

紅の花つけて山茶花ひらきたる少し古ければ花弁を散らす

垣に添うて赤、白の花咲き並ぶ山茶花美し冬この季節

剛毅朴訥よき言葉なりかくあれば仁徳に近し疑ひもなく

一万五千円の学費を使っておぼえしは味気ない理性むざんの作法

12月6日(金)

西風に枯葉朽ち葉の吹かれをりカサリコソリト音頭を踊る

一方に落葉吹かれて溜まるところ蹴散らして遊ぶ老いもゐにけり

じゃり径の右手の小さな山茶花に赤、白ありて並ぶ木ありぬ

士人とは如何なるものか朋友に切切偲偲、兄弟には怡怡如たり

太陽をもなかに地球は回りをり地球は回る実感しがたし

12月7日(土)

暗闇の机上に茶碗をひっくりかへすこぼれたる茶の領域ひろがる

卓の上の茶を拭かんとし雑巾にティシュペーパーあわてるあわてる

雑巾に茶をふき取りて雑巾のすこしく太るびしょぬれなれど

七年を教ふればすすんで戎に就きいのちをささげる兵隊になる

こなごなに富士を砕いてたのしきか衆議院五期つとめしものが

12月8日(日)

庭木々の石榴のもみぢ西風に吹かれて散り落つきわめて自由に

石榴もみぢ黄色く小さき葉を拾ふその健康さうな葉の色なりき

ざくろの葉落ちてぞ風にかたよりて暈なすところ色うつくしき

教ふれば戦はせてもよきものか八十五度目の開戦記念日

雪原を喪服の老若男女の一団が過ぎてしづかに弔いの地へ

12月10日(火)

幽霊のごとく木の葉の垂れさがるしかもまだらに赤くもみぢし

闇の中にこの木に遇えば怖ろしきまるで幽霊葉を垂れてゐる

柳の葉枝垂れてどこかさびしげに幽界にいるごとくにありき

憲が問ふ恥とはいかん孔子曰く邦に道なきに穀するは恥

雪降ればこころも温し室の内薔薇も枯れたり孤独の星座

12月11日(水)

山茶花の花咲くところ赤き花高きに咲けり多く花咲く

山茶花の白き花咲く道沿いをゆけばさびしき六波羅蜜寺

古狸、山茶花の花咲くところとびだしてくるけものの道を

むつかしきことなり仁はわからざる克・伐・怨・欲行われても

透きとほる女のからだ水を浴びおのれを恃むこのはかなさよ

12月12日(木)

私が泥であることに驚けりまったくの泥跳ねとばしつつ

泥跳ねをたのしむやうにかけりつつ背に泥かかるこれもたのしき

泥を持って泥を棄てたりまた泥にかえって泥をこねはじむる

士にして安住の場を慕ひをるそれでは士となすには足らず

ダンテの『神曲』なべて幻想なりその神髄を白鳥は見つ

12月13日(金)

風のない冬の日の午後にほひくる柊の白き花の香ありき

どことなく上品なる香り婦人にはよく似合ひたる白き花咲き

ひかへめな婦人のごとき柊の匂ひありけりきよき芳香

邦に道あるか道なきかそれぞれに進むはげしさもある

ダム湖より中津川ほそくながれくる多く沈みし宮ケ瀬の村

12月14日(土)

白く笑ひわが恋人と()()れゆくこのさびしさを忘れがたしも

ほうじ茶を飲み干してこの茶碗ちゃかぽこちゃかぽこ金属の音

沈黙を固め凝らす将兵のたたずむごとし城砦の門

徳なればよき言ありぬ仁者なれば必ず勇あり(ことはり)のごとし

二・二六事件の後に渾沌のあれば論理の糸つむぎをり

12月15日(日)

コカ・コーラ炭酸液を飲むときのどこか軽薄な気分に変はる

軽やかに躍りだす足、右・左交互に跳ぬる跳ぶ動きだす

この躍りごく自然なり企まず考へず手足交互に動かし

しづかなるもの言ひをする孔子なり南宮适を褒めたまひけり

みづからの感受性こそ守るべきものなれど時代、社会に流されてゆく

12月16日(月)

世の中の理不尽にかくいきどほる泣くなをみなよ男子(をのこ)よ泣くな

みもよもあらずべちゃくちゃに文楽人形をみな顔、鬼面

足、腕、手、表情を変へ鬼の顔におそろしおそろし文楽人形

君子にして仁なきものもあるだらうしかし小人に仁あるあらず

ドストエフスキイ独特のリアリズム誰も理解せずこの時代感覚

12月17日(火)

錠剤を二粒夕飯の後に飲みあと寝る前に三粒を服す

(カレンダー)の最後の一枚師走なりあと十五日寂しき残日

師走十日はたちまちすぎて明日は十七日時よ止まれ

愛すればよく労せんや忠なればよく(おし)ふるや師といふものは

渋谷の名画座がありしころなりき講義をさぼり唐獅子牡丹

12月18日(水)

すねに傷持つわれなれば老いたる日々もそれなりと思ふ

さくら落葉乾きて落つるを踏みゆかむ音乾けるを厭ひつつゆく

大量に片側風に寄せられて落葉朽ち葉を踏み踏み歩む

鄭の国の外交文書のすばらしさ卑諶、世叔、行人、子産の手を経る

思惟により内面化せざるものとみる唯物論に物質性(マテリアル)認め

12月19日(木)

みささぎに冬の雪ふるそのときこそこころしづめておろがみまつれ

猿のかたちの陪臣どもが寄りあひてみささぎの主に深き(いや)する

耳原の御陵に灯る一つ火のしづかに燃えてすめらきの霊

鄭、楚、斉のそれぞれの人をとりあげて孔子のたまふ優れたる人

あけぼの杉冬木にならむ。いつくるか木の周辺(まはり)には葉がちらばりて

12月20日(金)

一ハン・ガンさんの『少年が来た』を読みよみ終へる光州事件の魂しずめ

貧しさに怨むはたやすく富たれば驕ることなし本当にさうか

音聞けば月清みまだ寝ぬ人を空に知るかな 藤原公任

いづれの仏の願よりも千手の力ぞたのもしき枯れたる木にも花咲かせたり

12月21日(土)

床に敷くカーペットの熱に朝鮮のオンドル思ふハングルは読めねど

韓国文学なかんづくハン・ガンさんの作品を二冊読むその深きところ

けふ一日この寒空にふるへたり大陸の冷めたさには及ばざれども

猛公綽の力量を孔子は言ひ当てる小国をまかせることは遠くおよばず

椎の実を拾ひてこの世を渡らんかそれでいい出世など求めなくてよし

12月22日(日)

まぼろしの猫ところがるリビングの毛足の長き絨毯のうへ

すすき野をかけぬけてゆく三毛猫の走る姿のピユーマのごとき

咽喉を鳴らし甘えよりくる三毛猫に癒されてゐるわれも声あぐ

子路の問ふ成人について答へたる孔子の文言ていねいなりき

出雲の國に八重垣立てて妻隠みにわれもこもれり八重垣のうち

12月23日(月)

出雲国松江の城に松平不昧がたてる茶を喫したり

不昧公に育てられたる和菓子文化松枝はどこか落着きのある

松江城をめぐる掘割の深き水小泉八雲もめぐりたりしか

公叔文士を公明賈に問ふ孔子にて其れ然り豈に其れ然らんや

八千矛の神の命は遠どおし高志の沼河比売恋ふ

12月24日(火)

褐色の貧寒たる庭のあけぼの杉冬のはだか木に化すまへの様

貧相なるあけぼの杉にぼそぼそとしがみつくなり褐色の葉々

あと数日のうちに褐色の葉は落ちて冬のはだかの木に荘厳す

蔵武仲の氾濫は信用しがたしと孔子のたまふゆるぐことなく

八千矛の神の命に恋すれどぬえ草の女にしあれば人目気になる

12月25日(水)

暁闇の県道を行く大型トラック赤信号にゆったり停止す

信号の赤から黄色そして青走りだすべしわが乗る自動車(くるま)

払暁に地平の色はだいだいに染まりゆくなり未だ寒し

県道を通る自動車のすくなくて横断歩道でないところ渡る

晋の文公と斉の桓公とを比べたる優劣は道義にあり桓公俊る

恥じらひて即日返辞は返さざる沼河比賣の嗜みとおもふ

12月26日(木)

暁闇の県道を行く大型トラック赤信号にゆったり停止す

信号の赤から黄色そして青走りだすべしわが乗る自動車(くるま)

払暁に地平の色はだいだいに染まりゆくなり未だ寒し

県道を通る自動車のすくなくて横断歩道でないところ渡る

殉死せぬ子路は武力を用ひざるそのことたしかに仁に如かんや

翠鳥の颯爽と飛び河原辺の一本薄に揺れつつ留まる

12月27日(金)

酩酊といふ気分を味はふこともなくこの十年どこか物足りぬもの

むらぎもの状態悪しく転倒する酔うたるにあらず熱発しつつ

落下するごとくに堕ちてゆく堕ちて堕ちてもうもどれなくなる

管仲こそ仁の人なり公子糾殺されてその時天下を匡す

八千矛の神の命やわが大国主きみこそは男なりともに豊御酒を召す

そだたきたたきまながりし恋あれどもてあますらむ老いたる()には

12月28日(土)

ひむがしの空少しづつ赤くなる地平線にでこぼこありて人棲むらしき

地平線の色変りゆく冬の朝だいだい色に空がひろがる

信号の緑の色のくきやかに自動車進む相模大橋

エリートを選ぶその眼のたしかさを公叔文子に認めたりけむ

二谷を飛びて御統の玉かけてわが兄アジシキタカヒコネノ命

12月29日(日)

妙なる音たたへたる山茶花の白き花びら透けてただよふ

赤と白の山茶花の花ちかくにあり赤き花少し濃厚にして

白き花には薄あかき縁取り山茶花の高貴、清純なる花びら動く

仲叔圉、祝鮀、王孫賈それぞれなれば衛の国治まる

沖つ鳥鴨潜く河に近づきて世のことごとを思ひ忘れず

12月30日(月)

夜のテレビにバァイオリン、ピアノ曲しばし聞こえて心やすらぐ

曲名は知らねどもこのやさしさを昼バィオリン音色のひびく

足指の爪を切る時鳴る音のがさつなりバィオリンとえらく違へり

自分の言をたいせつにせよ恥じてこそ全てが実行し得る

ええしやこしやああしやこしや前妻後妻が魚乞へばこは嘲笑へ

12月31日(火)

髪の毛の少し伸びたる分のみを刈り上ぐる妻の手技そこそこ

一ケ月かニケ月目になる散髪の日妻がやさしく刈り上げくれる

床屋の主はわが妻にして刈り上げるこのよろこびは外には告げず

陳成子が簡公を弑すとき孔子討たんといへどむだなる

忍坂の大室屋に土賊多におる久米の子らいつせいに撃ち殺すべし