11月1日(水)
朝がらすけたたましくも鳴きたつるひむがしへむかふ五、六羽の群れ
穏やかなるときのきたるをたのしむべし紅葉にはじまる秋のひと時
暗くなれば「大阪ラプソディ」のメロディが急に流れ来わが室のうち
「行幸の際には剣を傍に置く」忍びやかに言ふこころにくかりき
11月2日(木)
けふも鳴くあけがらすのこゑ自動車の走行音より強く響く
山の端に明けの明星かがやけばこの朝のはじまりおだやかであれ
月高く空にあかるく残りたる山の上はるか浮かべるごとく
さぎちょうは毬杖を焼きあぐる行事なり神泉苑の池にておこなふ
11月3日(金)
目の前をひよどりが飛ぶ左から右へ飛びゆく短く鳴きつ
ひよどりの短き声が愛らしくぴいよぴいよと鳴きつつ飛べり
工事車のけふは休日にもかかはらず二、三台来てゐる土掘る音す
為政者へもの申しける老子翁人民が飢えたるは税が多すぎるゆゑ
四条大納言隆親卿なでふ事かあらん鮭の白干し
11月4日(土)
遠くより人夫来りて工事するけふはうるさき土盛多し
さくら葉の紅葉したるを拾ひにゆく小さな公園のわかき花の木
さくら紅葉スケッチブックに写したり赤き色鉛筆あまた使ふ
11月5日(日)
薬剤を服用せむと水を汲む浄水にして良き水を汲む
一服にああこの世界にわれ在るをたしかめてゐる水の冷たさ
この世から他界へつながる坂上る出雲国の伊賦夜坂を
生に重きオリュウノオバに語られて路地の物語よし中本の血よし
人觝く牛、人喰ふ馬、人喰ふ犬いづれも咎あり律のいましめ
11月6日(月)
公孫樹の葉あかるくなれば校庭も明るしサッカー小僧ら走る
公孫樹並木をゆくとき臭ふ銀杏を翁と媼がかまはず拾ふ
銀杏の葉色づく並木を妻と歩むふたり手をとり歩みゆくなり
相模守時頼の母倹約を本とする聖人に似てただ人にあらず
11月7日(火)
空中がうす紫に明けてゆく雲多きけさ異常なる色
空見ればうす紫色に雲塊の染まればまぼろしの国のやうなり
久々に杖に拠りつつ歩みけり総合病院を紹介状を手に
北方に大きな虹の架かるみゆやうやく雨の上がりたるかも
馬ごとにこはきものなり吉田といふもの秘蔵のことあり
11月8日(水)立冬
三日月に宵の明星、高く浮かぶ暁闇の空十一月八日
まだ寒き通勤準急杖つけば優先席にしたり顔して
まつくらなる海老名の町になれしたしむ三十年ほど住みたるがゆゑ
11月9日(木)
国立がんセンター中央の威容に愕くその高層に
築地には日比谷からタクシー。なつかしき江戸の町を過ぎつつ
午前五時いまだ暗きに出かけたる妻のすがたも闇の中なる
スーツケースを引きつつ駅へまつくらな空のもとゆく妻にしあらむ
善人に与するといふ老子の言なるほどとおもふ『老子』読みつつ
愚かにして慎めるがよしといふ兼好、善人に与するといふ老子といづれ
11月10日(金)
ひよどりは小さな鳥どもを制圧す。すずめ、四十雀この頃見掛けず
ひよどりのむくつけき姿。すずめ子も四十雀もこの鳥を嫌がる
大江健三郎の最後のエッセイに学びたるひよどりを憎む少年なりき
小国寡民を理想にかかげ老子翁この道を進む自然無為に
11月11日(土)
『老子』読むわれは無為自然と思ひたし巷のくさぐさに捉へられても
無為自然のかく難しき。老齢になれどもなまぐさしわれの周囲は
老子翁になんどもなんども問ふたれどその難しさ言はんかたなく
不定なりしがまことなり兼好法師かく世に背く
あからさまに来て泊りゐなどめづらしきよきかなよきかな
11月12日(日)
うす暗き今日の朝なり日は出でず冷たき夜明け冬近みかも
シルエット・ロマンスの大橋純子死すといふ訃報あり朝の新聞ひらく
捕鯨船日新丸の引退を新聞に知る「編集手帳」に
復習し、遠くから旧き友来たる。人にかまはず生きるべしや
夜がうつくしい、神社にも寺にも夜に参るべし兼好云ひき
11月13日(月)
真夜中にペットボトルのお茶を喫むコップに注ぎてりんりんと飲む
川筋を四羽の鷺が飛びゆける一羽、いちはが緑地をめざし
いつのまにか晩秋の寒さ。小半日枯れ葉の小径かさがさ音す
青山文平『半席』を読む。徒目付片岡直人懸命なりき
おのれの専門領域にあらざるは争ふべからず是非してはならず
11月14日(火)
日比谷から築地へタクシーに急ぎゆく車窓に東京の街が流れる
あひ変はらず院内は人あまたゐる地下へ降りれば患者寡なし
からうじて空は青くて東京はうつくしき色に暮れなむとする
11月15日(水)
卓上に置かれたメガネ一日を疲れし妻の眼鏡がひかる
鶺鴒二羽愛らしきこゑにもつれ合ひ乱舞を見せる九階の空に
もつと高く鳶がめぐれる海老名の空朝飯食ひつつ窓越しに見ゆ
巧言令色鮮なし仁ときに応じて思ひつつ生く
わが為すところ見通すことの容易なり達人のてのひらにわれら載せらる
11月16日(木)
ひむがしの空低きところ茜色に彩られさねさし朝の濫觴
老いの性せむなきものに悩まされ深夜いく度も目覚めたりけむ
ペット画像の己のすがた醜くてこの世の外のものかとおもふ
論語読む倣ひはないがこの度はつぶさに一つひとつを読まん
木造りの地蔵を洗ふ久我通基尋常にありけるときはまともなりしが
11月17日(金)
街灯り、マンション明り、自動車の後尾灯の点滅、雨中に昏るる
真夜中のベランダに街を眺めやるマンションの階段灯明るく見える
夜の窓を覗けば一台の自動車の尾灯の点滅、信号機の前に
国ひとつ治むるための三ケ条『論語』とはつまり政治の書なり
兼好法師は物知りなるか『徒然草』には自慢げに書く数段ありき
11月18日(土)
卓上に蜜柑ひとつが置かれたりしばし思ふは恥、悔い、怒り
佐賀産のみかんの甘さ口中に頬ばるときのセンチメンタル
行き暮れてゆくへ失ふ老年の尾につながるか欲、涙、悲哀
ベランダにころがる束子よくみれば土竜のやうなり毛並みきらめく
なかなかに歌に収まらぬ大江健三郎現代の歌をいかに見てゐし
11月19日(日)
大山が紅く色づく朝明けに今日もよき日であることを祈る
大山につらなる山を紅くして日は昇りくるひむがしの地平
西之島を出現させる噴火あり十年を経て島大きくなる 13倍だそうだ
永井荷風が衢をゆけば江戸の世の地勢浮かび来この世にあらず
退凡、下乗卒塔婆の位置を云々する兼好法師したり顔なり
11月20日(月)
辰年は父の生れ年。龍昇るごとくたちまちあの世へむかふ
シャワー浴びて湿つぽくなるわれならむ涙もろきは老いの証しか
柿の葉を写してなにかたのしきに柿の葉は北信濃の兄から届く
意訳である。子夏は、孔子の門人。孔子より四十四歳若い。
『論語』は癖が強くてなじまざる政治を司るひとが読むべし
またまた兼好法師の蘊蓄をかたる章段もうたくさんだ
11月21日(火)
さながらに木々を紹介するやうに妻がゆく駐車場までわれは見下ろす
冬はつとめて朝がよいなるほど朝の青涼ぞよし
老いの性にもてあそばれて夢のうちもんもんとして幾度も覚む
論語には言つてはならないことをいふ己れに劣るを友とする勿れ
掘り捨つべしと実基いふ塚あばき大き蛇祟りなかるべし
11月22日(水)
炊飯器の蓋をあければ新米の匂ひかぐはし妻のごときぞ
ひよろひよろよろめく歩み木枯らしに吹き散るけやきの葉をば踏みしめ
杖に頼り歩む野痩のひとりにて足弱ならば小径にむかふ
なんだらうこのうるささは『論語』とは腹のたつことしか言はず
訴へに負けたる者がいいように田畑を荒すをただ見てゐるか
11月23日 新嘗祭の日だ。
けやきの木、葉のしよぼしよぼが風に揺れ、遠くまで飛ぶ。その枯葉たち
秋の木の枯葉のたまる欅への小径かさかさこそりと足裏たぬし
病むからすほがらほがらに西へ帰す神々しきよ夕照りの山
呼子鳥の正体しれず書物には鵺のこととか書かれてゐるが
「人は天地の霊なり」と断乎断言したる兼好ぞよき
11月24日(金)
けふもまた廊下に椿象がうづくまる生死判別り難く虫には触れず
椅子を引き椅子の背に手を添へながらふくらはぎを伸ばすふくらはぎ痛し
柿の葉を写して何かたのしきに色探りつつ写しゆくなり
孔子先生むづかしいことは言つてない三年はさう長くはないか
秋の月このうへもなく美しと兼好法師さしづめ隠士
11月25日(土)
あの日から五十三年。三島由紀夫、森田必勝の自刃弔ふ
二人の首を並べて写す新聞の首と血に動揺し忘れがたし
電柱より平屋の屋根に飛び移るからすは既に町を領する
あけぼの杉に茶の色まざる霜月や冬に入らむと葉を落としたり
『論語』とは為政者の書わたくしの性にはどうも合はないやうだ
11月26日(日)
シャツを脱ぎ、ズボンを脱げば堆し着衣重ねし布団の傍ら
ミルク飴ほほばり歩む室のうち狭いが口中甘やかに匂ふ
卓上にちり紙一つしわくちやに居坐る室をあたためてゐる
またまたに兼好法師の蘊蓄なり役にたつのかどうか分からず
11月27日(月)
日の出とともに妻が勤務に出でてゆく霜月二十七日駅までの道
われもまた中古品なり古びたる欠陥があるわれならなくに
墨の香がわづかに匂ふ妻にして玉川学園から帰り来たりし
酒のみには少しの味噌でことたりるこころよきなり杯重ねをり
青山文平の文庫になりし本を読む女が惚れしは祖父とは驚く
11月28日(火)
空に残るビーバームーン明るくて西の山なみ暁闇に照る
さくら紅葉を拾ひに歩く小径あり大きな公園に進む径なり
公園の中央に大木のけやきの樹黄色にあかるくもみぢしてをり
「切磋琢磨」は『詩経』のことば子貢に言ふともに語らむ詩のあれこれを
11月29日(水)
西の空に明るく輝らす残り月この月は時にわれらを領す
みんなみに一朶の雲がわだかまるこの黒雲こそわが化身なれ
妖怪のごとくに屈み生芥の袋を閉づる一家の芥
人を知る努力を惜しむなと孔子が言ふめづらしくその章にうなづきにけり
大欲は無欲に似たりさう言ひし兼好法師無欲に暮らすか
11月30日(木)
ひむがしの空ぎはの隙朱色に霜月尽の朝明けてゆく
冬になれば着衣の増えて時かかる朝覚めてより立ちあがるまで
父が来て大声に言ふあれやこれや一つも覚へず朝は明けたり
付箋多く貼つて読む本ひさびさなり加藤周一『言葉と戦争を見すえて』
このことは肝に置くべしわれ人に知られざるとも人を知るべし
狐は人に食ひつくものと法師いふ舎人が寝たるに足を食はれき