歌一覧(2023年10月)

10月1日(日)

ゑごの花すでに終はりてゑごの実のくろき実落ちて後の時ゆく

逡巡のあればここは何と言ふつばきの実落ちて久しきこの径

入院し退院すること幾度目かただくろぐろと日々がすぎゆく

日々すぎて明日は三度目の入院か治療つづけばよくなるかリンパ腫

10月2日(月)

けさも鳴く明けのからすのやかましく目覚めたりけりまだ鳴くうちに

夜の虫のいまだも鳴ける暗闇にゴミを捨てにゆくこの世の涯に

皿、茶碗ふれあふときの音たのしキッチンは娘と妻がいさかふ

10月3日(火)

この世には明け烏鳴くかしましくこの世を讃へ暁闇に鳴く

夜の虫のいまだも鳴ける暁闇の闇のむかふにひそむものあり

たうとつにひとの名を叫ぶ患者ゐてこのうるさきもの始末に負へず

10月4日(水)

秋の雲の絹のやうなる薄き雲ながれただよふさがみの空は

さがみの(たひら)、空ゆく雲を見つつをり田圃数枚刈塩りしほならむ

いつまでも刈らぬ田ありき稔り穂の垂れて荒れたるこの田を刈らず

10月5日(木)

雨ふればさがみの平ぬれてゐるこの平安も豊穣の地なり

るり子、るり子と叫ぶ患者がむかひなり子どものやうなるしたしさがある

夜通し咳と魘さるる言葉とにまみれてわれも一夜眠れず

10月6日(金)

午前六時、空かんぺきに明けてくる昨夜の雨も上がりたるらし

秋の雲は動かざりけり背後には青空を控へ薄雲たゆたふ

雲うすく空にとどまる白きものかたち変へつつゆくへただよふ

10月7日(土)

一畳ほどがわが住み暮らすベッドにてここより帰るべきところはあらず

カーテンをひらけば稲穂稔りたる田んぼいく枚いまだも刈らず

10月8日(日)

秋雲がうれしき知らせ伝えくる礼状あひつぎ届くこの頃

成瀬家の家族よりとどく文よみて長女のきみの文章うれし

小池光の礼状よみて成瀬有やさしかりしをおもひだすなり

10月9日(月)

太陽はうす雲の後ろにひかりあり少し恨むか秋の空な

秋空を飛ぶ鳥その名を知らざれどたしかにひと鳴きして窓を去る

窓を去る鳥のすがたを追ひゆけど窓枠のかなた観へずなりたる

10月10日(火)

西暦二〇二四年のさくら咲く花咲きみちて夢まぼろしならむ

(あした)からカートが走る若々しき看護士が押しバイタル測る

看護師のおはようの声に励まされけふも生きなむいのちの声に

10月11日(水)

さびしげに陰茎洗ふ昼過ぎのシャワー室なぜかさびしきものよ

中世の和歌世界かくも形式にしばられてたのしきか足利尊氏

戦国武将が和歌にさほどに真剣なるその奇妙おもひ政争ありけむ

10月12日(木)

桃色に朝の空けふの雲たなびくこの世のはじめ神降臨す

朝空はうす桃色に明けてくるこの世のはじめもかくあらんとす

朝神の太陽神の降臨のあり。ピンクに雲焼けてくるなり

10月13日(金)

病むことの苦しさもあれば病むことのたのしさもある入院の日々

ころころところがればここ鼠地獄のがれやうなき苦しみもある

ころがり落つる感覚あれば変はりなき病む日々つづくいまだもやまず

10月14日(土)

三度目の悪性リンパ腫。われを撃つ。発語、歩行を困難にせり

やうやくにトイレも自由になりたるに幾度もかよふ倣ひおそろし

トイレに通ひ小便の量を測りたる日々の倣ひを解放さるる

10月15日(日)

家に帰りまづすることのひとつにて今月の歌を読み小評送る

礼状を数通なんとか書き終へて玄関棚に置きて安堵

面を合わせず評することのむずかしさ小評なれど時間がかかる

10月16日(月)

掃除機をかけて準備する部屋のうち布団敷きテーブル片づけ介護士を待つ

いつになれば自由になるかままならぬ歩行、発語に手掛かりもらふ

介護士が来ればはかどる()の歪みただす動きのままならぬもの

10月17日(火)

ひこばへの青々育つ田のとなり稲穂垂れたる刈りしほの田あり

さがみの平。稲穂稔れば刈り尽くすこの田に違ひあるはずもなし

一枚だけ刈り取りをせず稲穂の稔れば垂れたるままに

10月18日(水)

駅までのでこぼこ道をゆかむとすわが肉体の堪えられるようか

なんとか還りきたれりふらふらに復路よろけて帰りきたれり

桜葉の散る公園に休みたり駅までの道長しながし

10月19日(木)

階段の上り下りもルーティンのうちに入れけふはいくつか試す

訪問介護士にうまうまのせられ階段をけふは試せばまあまあ上る

へろへろになりて帰り来ルーティン増やせば疲弊かぎりもあらず

10月20日(金)

10階まで階段上り下りする老いひとり疲弊はげしきこの惨めさよ

この空の暮れゆくに委ねわれの()の山のごとくにこころも暗し

もも色に夕べ滅びの色を観てこの空のもと滅びむもよし

10月21日(土)

暁闇にひかり灯れるローソンの希望とおもふかがやくあかり

朝の日にあけぼの杉の枝の揺れ放恣なりざわざわ揺れてしづまる

体温計36,5℃から7℃くらゐ病む身になればてうどいいかも

10月22日(日)

白鶺鴒の一羽降りくる工事現場ここにも降臨するものありき

チャックをあげるチャックを合はすにも時間がかかる老いの衰へ指に重き

ズボンを膝から上に履くときも(とき)かかる老いの()のおとろふる

10月23日(月)

ひよどり二羽それぞれに鳴きかはすパティオを逸り駆け抜けてゆく

飛行機雲が茜に変はり膨れゆくこの世の外へつながるごとし

空の色ピンクに(へん)()すこのもとに滅びむとする世界と思ふ

この世界の権力者たちの身勝手さ戦争尽きず諍ひ絶へず

10月24日(火)

公園の長椅子のした落葉の(かさ)そこ避けて座るしばし安らぐ

空の色ぴんくにかはり明けてゆくこの空のした滅びむもよし

滅びゆくこの人類か。諍ひて各地に勃発(おこ)る戦火の嵐

10月25日(水)

右の眼が充血してゐて見にくきか目脂(めやに)がたまり()(がん)あけにくき

あけぼの杉の葉の放恣なる動きにも秩序あるらし杉の葉落とす

けふもまたひよどり二羽の掛声がわれの頭上を過ぎてゆくなり

10月26日(木)

椿の木より電線にのぼるひよどりの呼ぶこゑあれば応ずる声あり

朝の珈琲苦き一杯に目覚めたるこの一杯も辞めろといふか

ほのぼの明けくる空に鳥やかまし暁闇(げうあん)はかくもしづかなりしが

10月27日(金)

体温36,5℃やうやくに平熱つづくけさの検温

目薬を点眼すればおほかたは眼からこぼるる(かた)()の濡るる

毎日のやうにかめむしが廊下にゐる臭いといふがみどり美し

うつくしき緑の甲の椿(かめ)(むし)を小さきスケッチブックに写す

10月28日(土)

いつのまにか年老いたれど若き日に読みし堀田善衛よく思ひだす

年老いし堀田善衛も良しとおもふ『天上大風』たのしも読書

時どきにするどき言あり「ちくま」に書き続けたるエッセイを読む

「天上大風/天下騒然」二十五年経て騒然はいまも変はらず

10月29日(日)

昨夜よりの雨に濡れたるベランダの幸せの木の葉にたまる水

鵯のけさは長鳴きかはし合ふ濡れたる木々より電線に飛ぶ

あひ次ぎて電線上に場所うつす鵯二羽のこゑ長く鳴く

10月30日(月)

目薬を一滴しづくに右の眼に垂らせば赤目の色変りゆく

眼がしらに一滴垂らす目薬にしばし眼つむる眼ににじむまで

小野小町のこと定かならずと兼好の言ひたれば小町は伝説のひと

10月31日(火)

後尾灯の赤き点滅つづきをり県道55号線()()()混みあふ

午前五時 高きところに月残る十六夜月ひかりかがやく

太陽神が上り来るべし室内(へやうち)の壁にあかるき日の影ありき

酒飲みの罪ばかりいふ兼好のつけたりのごとく酒も良きなり