歌一覧(2022年7月)

7月1日(金)

人生には辛さも苦しさもあかるさもこもごもにあるそれこそ人の世

文庫本の帯には奇跡の作家とある知らざりしことをいささか悔やむ

横柄なるしはがれごゑに啼くからす今朝も電柱のてつぺんに鳴く

7月2日(土)

夜のトイレに刻む時計の音あれば()の肉体も刻まれゆくか

あたらしき榊をかざり老い母はかるく(かうべ)を垂れたまひたり

7月3日(日)

赤き葉と濃きみどり葉を写したる色鉛筆画まあまあの出来

干し終へて塩ふく梅をしやぶりしやぶり熱中症を怖れあゆめり

7月4日(月)

あぢさゐの葉うらに大きなかたつむり雨のしづくに殻のみのこす

この数日猛暑のためかベランダに置く生ごみに小蠅も涌かず

十歳の小童つれて長明どの蝉丸社までさくらたのしむ

7月5日(火)

台風のさきぶれの雨あかるきに滴々とふるわがさす傘に

いきなりの雨にあわてて傘ひらく風に煽られお猪口のかたち

雨に湿つた空気は老いの体調を狂はせるこの肌のべたつき

7月6日(水)

ペンギンが青空仰ぐやうにして(うがひ)ごぼごぼ口からこぼす

匙加減てふわれには高度なテクニック大さじ、小さじに塩梅測る

7月7日(木)

電車待つホームに並ぶわかものら携帯(ハンディ)扇風機(ファン)をおほかた鳴らす

ハンディファンをわれも使へばわかものの仲間入りかもこの老耄(おいぼれ)

老人にこそハンディファンは必要なり熱中症に死ぬるは老いの()

7月8日(金)

沙羅双樹の葉をちぎりとりてのひらに載せて小さな葉を愛ほしむ

錯綜する葉脈を絵にうつしゆく夏つばきの葉のいのちの(すぢ)

7月9日(土)

あふれだす大谷水門の水の量だくだく流れしぶきあげたり

水門に二つの流れに岐れゆくどちらも激しく波打ち流る

ざりがにの肉喰ひつくし固き殻棄つからすの母子

元三大師のごとき手足のながき虫つぶせり国津罪を犯せり

7月10日(日)

七月十日朝しつとりと明けてくるもののふの国あやふかりしを

やはらかなる心の襞をあへて隠すテロリストのおもひにわがおもひ重ぬ

7月11日(月)

小田急線の高架ホームに迷ひこむ紋白蝶はわが(かしら)めぐる

夏なれば影くきやかにゆらぎなしわがかげならぬその黒き影

7月12日(火)

どんみりと涼しき朝に鳴くこゑのほがらほがらにからすがわたる

充電器があちらこちらに稼働する部屋に住まへば落ちつきのなし

7月13日(水)

古き世のことだまを求め読む本の緊迫感にこころ寒けし

コンパクトハンディファンの風に()きもつと猛暑の夏よ来ないか

7月14日(木)

いつかはくるXデイへのカウントダウンもうはじまつてゐるオレにはきこえる

(からだ)ごと(なづき)もともに発条(ぜんまい)のほどけてゆくか滅びの径を

7月15日(金)

鼻くそをかきだしベランダに立つわれの鼻孔見上げて相模線が走る

雨の後のあけぼの杉の若みどりシャワー浴びたる裸身のごとし

7月16日(土)

干乾びて雨にもどれる蚯蚓の()なまじろくしてうす気味わろし

生きの軀より膨満したるみみずなり水漬くかばねよ萌蘇(はうそ)にはあらず

あまたの環節つらなるチューブなり水漬き膨らむ蚯蚓の(かばね)

7月17日(日)

松枯れの山際を長野高速道カーブしてゆく麻績(おみ)更埴(こうしょく)

長野県立美術館の駐車場車に三十分耐ふるはげしき雨に

松代の夜にものを喰ひ満ち足りて象山神社のくらがりおぼろ

倉田千代子の墓の町なり松代の夜のふかさにうかぶおもかげ

ことし初の蟬はひぐらし寂しげに松代の山の暮れゆくところ

7月18日(月)

ひつそりと午前零時の湯につかる灯りすくなき松代の町

川中島の武田・上杉の戦ひの跡どころあり蟬の鳴くこゑ

あちらこちらにつばめとびかふいくつもの巣があるここは北信濃の町

代々の墓の(から)(うと)にあたらしき骨を納めて義母の法要

若ものの二人が石を運びだし唐櫃あらはに骨の嵩あり

唐櫃には祖代々の骨累なり而して骨はあかるさ湛ふ

線香のけむりただよふ夏の墓地うから九人のしばしたたずむ

山梨県の高速道路にひぐらしの声きこえつつ渋滞の列

夜に入りて後尾灯の赤き点滅のつらなり()しき中央高速(ハイウェイ)

7月19日(火)

松代の夏と海老名の夏をくらべこのじめじめは軀を弱くする

川瀬巴水『木曽の須原』の絵葉書に豪雨ありこのところの豪雨にも似て

7月20日(水)

てのひらに絹漉し豆腐を切り分けて味噌汁に入れる料理の最後

コロッケにキャベツの千切り。夏の日の母とふたりの昼の御馳走

7月21日(木)

さるすべりの花咲きはじめ百日の夏がはじまる猛暑の夏が

老いてなほ心を焦がす思ひあれ紫薇の花咲き庭にたたずむ

7月22日(金)

『満願』に怯えて寒き心には麦茶を温めゆつくりと飲む

頭上より天の怒りの雷鳴かしばしとどろきまたもとどろく

7月23日(土)

猛暑なれば氷アイスを食べるべし薩摩由来の白くまくんを

衰ふる欅をけふもあふぎをり夏の葉むらのことしは増えて

7月24日(日)

時の間も風やまざればあばれたるあけぼの杉のみどりの葉むら

沙羅の木も大きく揺れて吹かれつつこの世の夏はかくも暑きか

7月25日(月)

若き日の地下鉄の切符を持ちつづけ昭和天皇は自由を夢む

天皇にも「ローマの休日」のごとき日のあれば少しく心温もる

いつぱいの朝の珈琲濃い目なりまづは目覚ましけふがはじまる

カフェには朝のたのしきひびきありコーヒー・ルンバに足拍子とる

7月26日(火)

ひよどりも時の豪雨に鳴かざりきを暗き空のいづくに潜む

リモコンのボタンを幾度も押し直すテレビ画面の電波乱るる

7月27日(水)

いつまでも蟬穴あかぬ中庭(パティオ)なり紫薇の朱の花も多くは咲かず

マンションの周囲(めぐり)に蟬のこゑ聞こゆことし初めての油蝉鳴く

7月28日(木)

死ぬものと死にゆくものとを見尽くして老いを生きねばならぬもののふ

油蝉の鳴くこゑを聴く翌日(あくるひ)に熊蟬のこゑともどもに聞く

マンションの南の青き空にひびき熊蟬のこゑやがて消えたり

7月29日(金)

立ち騒ぐ荒れ草の原。放恣なる草ぐさみどり濃くして猛る

荒草のめぐりは照り葉やさくら木に夏の木の影しづかにありき

斬り倒されし樹木を惜しむ声があるこのマンションに人暮らしけり

7月30日(土)

電柱から電線を経て木の(うち)にすがた隠して四十雀鳴く

林檎を八分割してその二つ食うべてけふのいくさにゆかむ

7月31日(日)

伊吹()を仰げばけさは青天にくきやかに聳ゆ京への道行(みちゆき)

宇治橋に水ゆたかなる川のながれこの川覗く昔男は

猛熱にほだされてわれは昔男宇治の館へ忍び入らむか

クマゼミのすがた見つけて喜べるわれをあはれむやうなりむすめは

天上の浄土をのぞむ老いのすがた平安貴族は小さきものか

木があれば熊蟬のこゑしゃあしゃあと(うる)さきところわれらも過ぎむ

平等院鳳凰像のいかめしき顔貌夜半におもひ出づるも