6月1日(火)
大山は夏雲どつしり雲ん中雨ふるところに美女仏降り来る
越後高田のちまきいただく笹はがし黄な粉まぶして口にほおばる
中庭の枇杷にも実る小さき実背伸びして触る毛羽立つ果皮に
6月2日(水)
山法師、沙羅の木白き花咲かせざくろ朱の花、あぢさゐの藍
つつぴ、つつぴ四十雀鳴きすずめ来るひよどりするどく樹木ざわめく
生くるための手立ての一つ年金をもらふ書類のややこしややこし
6月3日(木)
青梅の匂ひ熟れたる部屋のうちもんもんとするは梅の精かも
梅漬けのガラスの瓶にひかり差す六十五年三日目の朝
椎の木の切り倒されて今年夏
鮎釣りびと三日目にして減りにけり
6月4日(金)
4ℓ壜二本に梅干1Kづつ梅雨明けごろを待たねばならぬ
今年貰ふ梅の香りの熟したり布巾に摩(さす)るやさしくやさしく
こふくべは枇杷の別名皮をむく
6月5日(土)
今日の雲古のかたちも臭ひもまあよからう朝の便壺のぞきこみたり
田を囲む水のながれに潜みをるアメリカザリガニ深きに退(すさ)る
叫声は少年に起こる。小女子は平気で蝲蛄を手づかみにする
手づかみにざりがに誇る処女なり
6月6日(日)
トラクター雨の田んぼを折り返す
ひよわなる田の苗しづかに雨が打つ
曇天に柘榴の花の朱著くあヽただ雨に打たれてゐたき
梅仕事せしゆゑならむどことなく芳熟の香のただよふてゐる
6月7日(月)
早苗(さなへ)田(だ)の水に滑空降下する鷺つかのまを水面(みなも)に映ず
高所より巧みにこの地に降下する鷺の流麗目放ちがたし
診察の結果にこころ折れたるか鷺のすがたに圧倒されたり
鷺けふはたしかに白し田に降る
6月8日(火)
苔の上に夏つばき白き花落す今朝のひかりの届くところに
巴里の町のスノー・ボールを揺らしたりエッフェル搭はふぶきの中に
シャンゼリゼ通りは小雪のふりはじめジュリエット・グレコ「パリの空の下」
6月9日(水)
黒日傘にマスクの女ぞろぞろと列なして歩く枇杷の木に近く
枇杷の木の下にはいくつもの実が落ちて堆くなる腐れ実あまた
これの世の汚れをよそに山ぎはを旋回する鷺を遠く目に追ふ
日傘の上に尺取虫が落ちてくる
6月10日(木)
パレスチナ・ガザ地区の画家の絵をおもふいのちの絵いのちの色いのちのかたち
口腔に氷砂糖を泳がせてガザの戦禍に茫然たりき
6月11日(金)
枯れてゆくわがいのちかも夏色のメタセコイヤの木を仰ぐなり
あたらしき夏のいのちをこの老いに少しくたまへみどりの葉叢
田の中の道にザリガニ滅びたり
6月12日(土)
変身して散歩におどける河童なり畑に盗む胡瓜(キューカンバ)齧り
図書室にみおろす泰山木の白き花あはれこの花に育てられたり
けふ咲くか泰山木の花おもふ
6月13日(日)
梔子の淋しき花の香りあり少し遅れて樹をふりかへる
中新田の田に水分ちほとばしる大谷水門に夏のひかりあり
花ざくろ坂あるみちに毀れたり
所属せずにそろそろ十年わが立ち位置孤立における連帯もある
6月14日(月)
梔子の花腐らせてふる雨に眼鏡ぬらしてしばたたきをり
つつぴ、つつぴぃ鳴く声するは四十雀すがたみえねど中庭(パティオ)に潜む
野鳥ゐる空には雲が下りてくる
梅雨入りのことしは遅き傘ひらく
6月15日(火)
夜の車の通過する音――。凶々しき鳥の音(ね)にまがふ、悪夢に覚めて
夜の寝相悪しくして腕に痺れあり、頬に皺ありのたうちまはるか
野の鳥のまづひよどりの翔りだす
突兀と高きところに夏の雲
6月16日(水)
めぐりには田の見えねども夜の曇りに蛙頻き鳴く喧しく鳴く
遠田には蛙鳴くなり青ペンキぬりたての蛙も鳴きはじめたり
おのが軀も寄木細工か塗り剥げて毀れしもあり古びたるなり
雨の夜はつめたき女にあひたくて
後悔はとつくのむかしに古き恋
6月17日(木)
もじずりの紅とつばなの白銀を詠むうたありき胸にひびくも
半島の夏のみどりは荒くして海へ出て征くイージス艦も
天に去る鳶のこゑいつか消えてゐる
せせり喰ふ鰺の塩焼き湘南の海の馥りの口中に満つ
6月18日(金)
木の幹にまだら模様のある沙羅のその樹皮に触る熱もつごとき
黄土色の艶ある樹皮に触れてゆく女体のごとき沙羅の木を恋ふ
6月19日(土)
ふりやまぬ雨に佇む傘の内ふるさとなければ流れゆくなり
若きランボーの魂を追ひパリの街へわが老魂もさすらひゆくか
雨ふれば沙羅の木濡れて色つぽい
太宰忌の雨しとしととふりやまず
6月20日(日)
糸魚川河口に翡翠を探りしに翡翠に似たる石や拾ひ来
翡翠ではなけれど海辺の石なればさすらひの石やさしき魂魄
父の日やなにか違ひのあるものか
6月21日(月)
くらやみにシクラメン匂ふ一階のフロア時の間空間ゆがむ
野の鳥の求婚のこゑが鳴きかはすあけぼの杉の葉叢ゆらして
夏至なれば東京メトロに潜りたき
東京メトロは地下迷宮を彷徨へば闇の大王に逢ふときあらむ
6月22日(火)
昨晩に使ひし食器を棚に収め卓子を拭きて一日がはじまる
野口富士男の母、そして父を書く小説のあはれ哀しくて老いにはつらき
アマゾンに『荷風俳句集』を頼みたり
6月23日(水)
わが家族の恥部かもしれぬ半透明のビニール袋の中の生ゴミ
定時制に学ぶ子ら率て沖縄のガマに涙する子らと祈りぬ
あの子らはいまどこにゐる俺はまだ熱いぜ君らは何をしてゐる
6月24日(木)
雨ではない。どんより暑い。今朝も悪夢に覚めた。
今朝も朝から排便ありて肛門に痛みあれども雲古上々
コンクリートを這ひ出してくる爪草のこのいのちこそ愛すべきなれ
蝶游ぶわが足もとの夏雑草
6月25日(金)
コロナ禍に増えたる一つプラスチックゴミ地球温暖化に逆らふごとく
小型犬ポメラニアンが吠えかかる生ゴミあさるカラスを叱る
吠えられても平然と動かぬカラスなりいい加減にしろよ犬また吠える
6月26日(土)
JR相模線に乗りゆつくりと茅ヶ崎へつづく怡楽の電車
海辺まで迷路のやうなる道を行き妻と迷へばあやしき気分
潮風は少し重くて妻とわれ屈託あればしばし黙せり
茅ヶ崎の長谷川書店に文庫本の荷風の小説一冊を買ふ
6月27日(日)
六十五歳にしてかく衰へし脚の力ああなさけなし旅ままならず
えぼし岩を遠く見据えて妻の目に怒りあり何の怒りか知れず
こんなにも衰へてゐるかわが軀体雨の日なればひと日こもれり
六月の雨中しづかに暮れてゆく
6月28日(月)
包丁をまづは所定の位置に収めけふも安穏に一日はじまる
包丁や生まぐろ斬る時を待つ
梅雨明けを待つばかりなり梅漬けの塩おほかたは溶けたるものを
6月29日(火)
あぢさゐの花を大きくゆらす風六十一度目の妻誕生の日
妻の母死すとの報は唐突にこの耳襲ふ信じがたし
末の子を愛したるかもこの日こそを選び死にせる妻の母なり
6月30日(水)
今日午後ワクチン接種1回目の予定もある。娘は午後から忌引きを取って通夜に間に合うように新幹線に乗車。無事間に合ったらしい。
左上腕に注射打たれて一時間いまのところだが常の如きなり
信濃には通夜の儀はじまる午後六時エレベーターに郵便取りに
六月晦日の祓への詞人形は夜半立ち上がり動きはじめる