曇りなのに暑いのだ。明け方も外気は暑く、窓を開けられなかった。
小海線の通過する音も聴こえ来る宿りの窓に踏切閉る
野辺山のの空に虹が顕つ雲間に低く七色の虹
空仰ぎうれしき思ひもたちまちに短き虹とともに消えたり
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『孟子』尽心章句下234 孟子曰く、「を信ぜざれば、則ち国空虚なり。礼義無ければ、則ち上下乱る。無ければ、則ち足らず」
仁者賢者を登用せねば国空虚なり礼義なくば上下乱れ、政治なければ財足らず
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
古志に来てまだ古志なれぬ我なれやうたて寒さの肌にせちなる
【語義】「古志」は「越に国」、ここでは越後を指していることは云うまでもない。〇「我なれや」の「や」は感動の意を含めた発声で、疑いの意の「や」ではない。〇「うたて」は非常を意味する。感嘆の意をも含んでいる。〇「せちなる」の「せち」は「切」で即ち痛切。「せちなる」は「ひどく身にしみることよ」というほどの意。
【評言】これこそ文字通りに良寛帰国後間もない頃の作であろう。良寛は二十二歳で越後を出て凡そ二十年間の諸国雲水の後四十二、三歳で再び郷国に帰って来たのである。この歌をよむと俳諧寺一茶の「これがまあつひの棲処か雪五尺」の句に対すると同じように、「いかにもそうだったろう」と同情される。「うたて寒さの肌にせちなる」の表現にはおそらく聊の誇張もなかったのであろう。こういう境涯から年一年郷土の自然と同化して行った良寛その人の晩年の生活への推移をおもうと、私などにはたまらない親しみが感じられる。かの有名な「……雪のふる日はさむくこそあれ」の古歌のように自分を特別な者として見ていないところはこの歌にはいささかもない。ありのままの歌である。だが拙いことは随分拙い。上句などは殊にたどたどしい。良寛の歌の円熟したのはその晩年で、この歌をよんだ頃はまだこの位が関の山であったらしい。