曇りだから寒い。
思ふやうに読書進まず二月にはわづか三冊これではだめだ
少なくとも去年の方が読む量は多し倍ほどは読了したり
読む本、読みたき本ばかり増えたるにとても追ひつかず老いたるかなや
『孟子』離婁章句下120-2 子思 衛に居る。斉の冦有り。或ひと曰く、「冦至る。蓋ぞ諸を去らざるやと。子思曰く、「如し伋去らば、君誰と与にか守らん」と。
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
摩耶のなかより生れ出て 宝の蓮足を受け 十方七度歩みつつ 四句の偈をぞ説いたまふ
(法文歌・雑法文歌・二一八)
【現代語訳】釈迦は、摩耶夫人の胎内から誕生した。足を上げるたびに七宝の蓮華あそれを受け、十方に七歩ずつ歩きながら、四句の偈をお説きになった。
【評】釈迦誕生の際の奇瑞を歌った一首。生れてすぐ十方(東・西・南・北・北東・南東・北西・南西・上・下)に歩き出すと、釈迦の足を受けるようにして美しい七宝の蓮華が花開く。釈迦は高らかに四句の偈(仏の教えや仏・菩薩の徳をほめたたえる韻文)を唱えたという。典拠として『仏本行集経』巻八、『方広大荘厳経』巻三、『大方便仏報恩経』巻七、『過去現在因果経』巻一などの経、および『今昔物語集』巻一-二話「釈迦如来、人界生給語」などが指摘されてきたが、より直接的な典拠として、近年紹介された金沢文庫蔵の声明資料があげられる。
摩耶ノ右脇ヨリ生レ 宝蓮ミアシヲ受シカバ 十方七歩ヲ行ジッゝ 四苦ノ偈ヲ ゾ説キ給フ
先にあげた諸経でも釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされ、釈迦の誕生を題材にした絵画や彫刻でも、嬰児たる釈迦は、摩耶夫人の右袖から顔をのぞかせている。胎内からの誕生であれば、特に珍しいことはないので、本文としては、新出資料の「右脇」がよりよい形のように思われる。今様の音数からすると、「なか」は「わき」とでもあるべきところか。「宝蓮」を「宝の蓮」とし、「行ジツゝ」を「歩みつつ」として、今様は、よりやわらかな表現になっている。
さらに新出資料においては、問題の歌の三首後に「我生胎分身 是最末後身 我已得漏尽 当復度衆生」(私は輪廻転生の業が尽き、もう二度と生まれ変わることはないから、これが最後の人間としての身である。私はすでにすべての煩悩を超越したので、これからは仏となって一切の衆生を救おう)という四句の偈が見える(『今昔物語集』巻一ー二話にもほぼ同じ偈載る)。当該今様では具体的な内容が記されない「四句の偈」であるが、当時の人々には、この「我生胎分身」の偈が強く意識されていた可能性もあるだろう。