8月22日(土)

今日も暑いのだ。

山の鳥、野の鳥のこゑ聴こゆるに鳥の名分かず朝明けてゆく

八ヶ岳は突兀とした山つらぬ。宿りの窓に遠望したり

編笠山・西岳・権現岳に赤岳高く・阿弥陀岳・横岳・硫黄岳に天狗岳なり

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『孟子』尽心章句下229 孟子曰く、「吾今にしてる後、人のを殺すの重きを知るなり。人の父を殺せば、人も亦其の父を殺し、人の兄を殺せば、人も亦其の兄を殺す。然らば、則ち自ら之を殺すに非ざるや、のみ」

孟子がいふ今更ながら人の近親を殺すことが重大事であることを知る

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

ふと里にもいでずなりにけり昨日も今日も雪のふれゝば

【評言】ここもで来ると前の歌の静寂にこもっている心持が一段のつつましさを加えている。現身の命の糧をすらも求めに出ずに、独りつつましく遠離の境界に安住し生の寂味に浸っているこの心持は尊い。「飯乞ふと」という第一句は良寛の歌にはかなり多くあるが、それが少しも鼻につかぬのは、この人なればこそである。孤独静寂の境地を歌っていながら、所謂枯木寒巌流な冷たさのないのも良寛の歌の最もなつかしい特色の一つである。

8月21日(金)

今日も暑い。

とち狂ひたるか冷静か輾転反側して干涸ぶ蚯蚓

相つぎてみみず路上に乾び死す肉色の屍を避けて歩まむ

なにゆゑに討ち死にしたるか自づから干涸びてなにもなさず死にたり

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『孟子』尽心章句下228 孟子曰く、「舜のをひをふや、に身を終へんとするがし。其の天子とるに及びてや、をり、をし、る。之を固有するがし」

舜は貧乏であったが天子と為ると画衣を着、琴を弾じ、二人の娘をはべらせ平気なり

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

白雪の日毎にふればわがいほはたづぬる人のあとさへぞなき

【大意】毎日毎日雪が降りつづいているので自分の庵にはたずねて来る人の足迹さえもない。

【評言】一見前の歌と同じようであるが、しかしこの歌の方はもうすっかり冬になりきって雪の中にうずもれてからの作で、その気持ちが一首の上にいみじくも現わされている。「いまよりは」と「日毎にふれば」、「みちふみわけて誰かとふべき」と「たづぬる人のあとさへぞなき」との表現の相違を味って見ると、そこに微妙な心持の相違が味われる。孤独感が前の歌よりも一層深められていると同時に、そこには何となくつつましくその静寂裡にこもろうとする心のおちつきさえも加わっている。

8月20日(木)

暑かった。上野の博物館へ「空海と真言宗の名宝」を観に。

平日ならば少しは人のすくなくてララポート商ふも店に見やすく

無印もモンベルも楽しく店まはる平日のララポート歩きやすし

ララポートの駐車場に自動車入れララポート楽し少しはしゃぎて

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『孟子』尽心章句227 孟子曰く、「・・・は、能く人に規矩を与ふるも、人をして巧みならしむること能はず」

建具屋・大工・車大工などの職人は規矩は教えられるに巧にすることは無理だ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いまよりはつぎて白ゆきつもらましみちふみわけて誰かとふべき

【語義】「つぎて」は「引きつづき」。〇「みちふみわけて」は野も山も谷も道も悉く埋めつくした白雪を踏みわけ道をつけての意である。〇「誰かとふべき」は「誰か訪ねて来よう、誰も来はすまい」の意。

【評言】孤独の静寂味のこもった歌である。しかもその静寂孤独の境地にあってなおかつ人間に心をよせている。「いまよりは」は力のこもった句である。

8月19日(水)

今日も晴れ。

ひっくり返った姿に触れば反転し生きていることを蟬は主張す

とはいへどもう蟬鳴も無く裏返りわずかに手足動かしてゐる

ベランダのはしっこまでを遅々として歩いて最期の蟬の力

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『孟子』尽心章句下226 孟子曰く、「人有り曰く、『我善くを為し、我善く戦ひを為す』と。なり。国君仁を好めば、天下敵する無し。南面して征すれば、怨み、東面して征すれば、怨む。曰く、『れぞ我をにする』と。武王の殷を伐つや、三百両、三千人。王曰く、『畏るること無かれ、をんずるなり。を敵とするに非ざるなり』と。崩るるがくす。のる、正なり。己を正しくせんと欲せば、んぞ戦ひを用ひん」

恐れることはないおまへたちを安んずるのだといふや民平伏す

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

草のいほにねざめてきけばあしびきの岩根におつる滝つせの音

【評言】山中の夜半に滝の音を聴くというような歌は古来いくつもあるが、この歌は「草のいほにねざめてきけば」という上句が作者自身の生活に即した表現である為めに、一首全体が切実にひびくのである。総じて良寛の歌は悉く彼自身の生活に即した実感から流れ出ている点に古来の多くの名手の中にまじって異彩を放っている所以が存するのである。

8月18日(火)

朝は涼しいが、後は暑くなってくる。

熊本を襲ふ地震に爆発するイオン・モールに死者いくたりも

日本製紙の工場の煙突倒れここも死者・不明者

わたしにはどうしようもなきことなれど死者の数増ゆ熊本をおもふ

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『孟子』尽心章句下225 孟子曰く、「く書を信ぜば、則ち書無きにかず。吾 に於て、二三策を取るのみ。は天下に敵無し。を以てをつ。而るに何ぞ其の血にして杵を流さんや」

孟子がいふ書経に書いてあることを信ずるならばかえつて道をそこなふ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

うづみ火もやゝしたしくぞなりにけりをちの山べに雪やふるらむ

【語義】「うづみ火」は炉などの灰に埋めてある火。

【大意】炉の灰にいけた火もいくらか慕わしいようになって来た、遠い山々に雪でも降るのだろうか。

【評言】平淡過ぎるほど平淡な歌である。しかし忘れがたい歌である。殊に私達のように雪国に住む者にとりて「遠山にもう雪が来たと見える」という嘆声は、毎年のことではあるがたまらなくしみじみと感じられる。上句の「やゝ」がいかにもよく利いている。「そろそろ火が恋しうなって来たわい」――こうした言葉は先ず以て老人の口から洩れる。その頃のしみじみとした感じがよくこの歌に出ている。「うづみ火もやゝしたしくぞなりにけり」とこう感じて、さて「をちの山べに雪やふるらむ」と応じているのも極めて自然である。

8月17日(月)

涼しい。晴れ、曇り。暑くなる予定。

恩田陸『鈍色幻視行』上読了。呪われた小説『夜果つるところ』の映画化をめぐり二度機会があったものの失敗する。その当事者が集まって豪華客船の旅。アジアをたどる旅をめぐって、またさまざまな問題が起こる。しかし、今のところ解決しそうにない。詳しくは下を読んでからのことだ。

熊本はまたまた地震被害あり。なんともしがたし耄われには

何度も何度も地震・雨災害。熊本よ、亡びてはならぬ立ち直るべし

熊本城も直りかけてはまた揺るる石垣崩れ亡びゆくなり

    *

『孟子』尽心章句下224 孟子曰く、「に無し。彼、此よりきは、則ち之有り。征とは、、をつなり。敵国は相征せざるなり」

春秋には義戦なし。諸侯どうし、対等の国が戦ふは征伐にあらず

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

夜もすがら草のいほりにわれをれば杉の葉しぬぎあられふるなり

【語義】「夜もすがら」は「終夜」。〇「しぬぎ」は押しわけて通るの意。

【大意】自分は夜中どこへも出ずにこの杉林の中の草庵に一人とじこもっている、するとその群立った杉の葉を通して霰の降る音がする。

【評言】これも作者の実感に即した歌であるが、「杉の葉しぬぎ」の句によって一層その印象を強くしている。

8月16日(日)

曇りなんだろうが、朝は涼しい。が、どうなることか。

何とでもぬかせといふやうな大きさがあるそんな歌集をこしらへたきもの

眼・耳・鼻・舌・身・意 六根清浄、ろつこんしやうじやう山深く入る

ここよりは女人禁制の門の前。われも引き返す女にあらねど

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『孟子』尽心章句下223 孟子曰く、「不仁なるかな梁の恵王や。仁者は其の愛する所を以て、其の愛せざる所に及ぼし、不仁者は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼす」と。公孫丑問うて曰く、「何のぞや」と。「梁の恵王は土地の故を以て、其の民をして之を戦はしめ、大いに敗れたり。将に之を復せんとし、勝つこと能はざるを恐る。故に其の愛する所の子弟をりて、以て之に殉ぜしむ。是を之れ其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼすと謂ふなり」と。

梁の恵王は愛する子弟を犠牲にす愛する心をもちて愛するものに及ぼす

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

露おきぬ山路はさむし立ち酒をしてかへらむけだしいかゞあらむ

【語義】「立ち酒」は客が帰ろうとする時、その立ち際に出して飲ます酒ことで越後地方の方言である。この地方では客が訪ねて来るとすぐに「おつきの酒」と云って先ず酒を出す、それから帰ろうとする時にも「お立ちの酒」と云って酒を出す、それが古来のならわしとなっているのである。〇「をして」は「食して」で食うにも飲むにも通ずる。〇「けだし」はもしかくもあらんかと推し量りて云う語。この場合には「そうしたらまあ」というほどの意にとって置いてよかろう。

【評言】これは作者がいずれかの家をたずねて帰ろうとする際に詠んだ歌ともとれるし、また自分のところにたずねて来た客の帰ろうとした際に客に向って詠み与えた歌ともとれる。いずれにしても打ちとけた、軽快な調子のうちに、環境の気分までが現わされている。「山路はさむし」の句と「立ち酒をして」の句とがいかにもよく調和している。寒い感じと暖かい感じとが快くもつれている。