まあ曇っている。やがて雨らしい。
つげ義春さんが亡くなったという。三月三日だったらしい。享年八十八。
「ねじ式」に衝撃受けて「無能の人」に深くうなづくわれならむかな
「紅い花」を好むといふかつげ義春わたしもキクチサヨコに恋す
『孟子』万章章句133-4 大国は、地 方百里。君は卿の禄を十にし、卿の禄は大夫を四にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と禄を同じくす。禄は以て其の耕に代ふるに足るなり。
公、侯の大国ではその土地方百里。君、卿、大夫、上・中・下士・庶人それぞれなりき
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
美女うち見れば 一本葛にもなりなばやとぞ思ふ 本より末まで縒らればや切るとも刻むとも 離れがたきはわが宿世 (四句神歌・雑・三四二)
【現代語訳】美女を見ると、一本の蔦葛にもなりたいと思うよ。根元から蔓の先まですっかり縒り合されたいことだ。たとえこの身が切られても刻まれても、美女から離れがたいのは私の宿命というものよ。
【評】赤裸々な愛欲の心を歌った一首。木とそれにからみつく蔦草は、しばしば男女の抱擁の譬えに用いられた。古くは、『日本書紀』歌謡(継体天皇七年)に、
妹が手を 我にまかしめ 我が手をば 妹にまかしめ まさき葛 手抱き交はり…
(愛しい妻の手を私に巻きつかせ、私の手を妻に巻きつかせ、まさきの葛のように抱き合ってからみつき…)
という一節があり、蔓性植物の「まさき葛」が「手抱き交はり」(抱き合ってからみつく)の枕詞として使われている。
今様にも関心の深かった源俊頼(一〇五五?~一一二九?)和歌には、
契ありて這ひかかるとも見ゆるかな蔦や梢の妹背なるらむ (『永久百首』蔦)
(約束があってまつわりついていると見えることだ、蔦は梢と夫婦なのであろう)
とあり、また、時代は下がるが、能「定家」では、藤原定家の執心が蔦草となって式子内親王の墓にからみつき、お互いが邪淫の妄執に苦しんでいるとされる。
当該今様は、燃え盛る愛欲の炎を、能「定家」のように深い罪業として捉えるのではなく宿命として受け止め、むしろ明るく軽妙に歌い上げている。後世の有名な民謡「松になりたや有馬の松に 藤に巻かれて寝とござる」に繋がるような趣を持っていよう。