台風の雨がふりつづく、寒い。
昨夜からの雨、そして雨。湿気が多く圧さるるごとし
圧しくる空の重さに耐えかねて今日一日は臥してゐるなり
時に止む時もあらむかその時を間違ふことなく歩みだしたり
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『孟子』尽心章句下259 万章問うて曰く、「孔子陳に在りて曰く、『ぞ帰らざる。吾が党の士は、にして進取なり。其の初めを忘れず』と。孔子陳に在りて、何ぞ魯の狂士を思ふや」と。孟子曰く、「孔子は、『中道を得て之に与せずんば、必ずやか。狂者は進んで取り、獧者は為さざる所有るなり』と。孔子豈中道を欲せざらんや。必ずしも得可からず。故に其の次を思ふなり」と。「敢て問ふ如何なれば斯に狂と謂ふ可き」と。曰く、「・・の如き者は、孔子の所謂狂なり」と。「何を以て之を狂と謂ふや」と。曰く、「其の志たり。古の人古の人と曰うも、其の行ひをすれば、をはざる者なり。狂者又得可からず、をしとせざるの士を得て、之に与せんと欲す。是れなり。是れ又其の次なり」と。
孔子は中庸の道を行ふ者と共にゐる志は嘐嘐然としいにしへの人を求む
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
なほざりにそとにでて見れば日はくれぬ又たちかへる君がやかたに
【語義】「なほざりに」は「深く心を付けずに」即ち「何の気なしに」。〇「やかた」は「館」で「家」というに同じ。
【評言】これも阿部定珍に与えた歌である。定珍の家に来ていてまだ帰りたい気もないのだが何ということなしに外へ出て見たが日が暮れているのでまたその家に立帰った折に、それだけの事をそのままに詠んだのであろう。ありのままを自由に率直に歌っていながら、情味がみちみちている。「なほざりに」もよく気持をとらえてある。「そとにでて見れば日はくれぬ」の「でて」もピンと響く「いで」などではつまらない。上句と下句のつづき工合もいい。こうした有りのままの経験を描いてそのうちに無量の情味を蔵せしめているのは、良寛の歌の最もいい特色の一つである。この歌をよむとその場合のその人の様子が目に見えるような気がすると同時に、いろいろ動いていたその人の経過までが味深く感じられる。事象だけを歌うのは易い、心だけを歌うのは易い。しかし、このように事象を歌いながら、歌いつくせない心までも含ませることは至難である。こうした歌をよんでただこれが無造作にのみ歌われたものだとなんとか思ってはとんだまちがいである。随分と苦労を経なければここへは行けないと思う。