羽咋・金沢行一日目。晴れ。
県立近代美術館葉山
内間安瑆・俊子の色彩豊かなる版画見むとす。その美しさ
色を織り、記憶を紡ぐ安瑆の浮世絵のやうなる版画の大、小
青や紫、黄色や橙、細やかにそして大胆な安瑆の色
『孟子』万章章句下132-3 柳下恵は、汙君を羞ぢず。小官を辞せず。進んで賢を隠さず。必ず其の道を以てす。遺佚せられて怨みず、阨窮して憫へず、郷人と処り、由由然として去るに忍びざるなり。『爾は爾為り、我は我為り。我が側に袒裼裸程すと雖も、爾焉んぞ能く我を浼さんや』と。故に柳下恵の風を聞く者は、鄙夫も寛に、薄夫も敦し。
柳下恵は大した人にて心卑しく度量狭くとも寛大・親切なものとなしたり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
よくよくめでたく舞ふものは 巫小楢葉車の筒とかや やちくま侏儒舞手傀儡 花の園には蝶小鳥
(四句神歌・雑・三三〇)
をかしく舞ふものは 巫小楢葉車の筒とかや 平等院なる水車 囃せば舞ひ出づる蟷螂蝸牛
(四句神歌・雑・三三一)
【現代語訳】とりわけすばらしく舞うものは、巫女、小楢の葉、車の筒とかいうことだよ。やちくま、侏儒舞、手傀儡も。花園では蝶と小鳥だよ。
おもしろく舞うものは、巫女、小楢の葉、車の筒とかいうことだよ。平等院の水車、囃すと舞い出す蟷螂や蝸牛よ。
【評】舞うもの尽くしの二首。第二句を共通にする。「巫女」「小楢葉」「車の筒」はいずれもカ行音ではじまり、人間、植物、人工的な器物、と、さまざまな範疇のものを取り上げている。「小楢」はブナ科の落葉高木であるが、「舞ふ」とは、落ち葉についていったとする説と、風に裏葉が翻るさまをいったとする説がある。後者は、『梁塵秘抄』に「楢葉は風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る」(→三五三)とあるのを念頭に置いたと思われるが、「まふ」とは、「まは(回)る」と同根で、「をど(踊)る」が上下に動く跳躍を原義とするのに対し、基本的には円形に回る旋回運動を中心に言うから、落ち葉が風に吹き寄せられクルクルと円を描いて動いてゆく様子を捉えたものと考えたい。「車の筒」は、車輪の中心部で、車軸が貫いている箇所。
三三〇番歌は、第三句に三種の芸能を並べている。「やちくま」は、よくわからないが、「八千独楽」とみて、多くの独楽をいっせいに回す芸かとしる説や、「八玉」の誤写で、多くの玉を扱う曲芸であろうとする説もある。「八玉」は、藤原明衡(九八九?~一〇六六)の記した『新猿楽記』に見え、平安時代後期の芸能の一つであった。いずれにしても、「侏儒舞」(こびとが面白おかしく演じる舞。『新猿楽記』にもその名が見える)、「手傀儡」(手であやつる人形劇)と並べられているところからすると、「やちくま」も何らかの曲芸的なものであったと考えられる。
三三一番歌の「平等院なる水車」は平等院(一〇五二年、藤原頼通によって創建)の傍をながれる宇治川の水車のことであろう。現在の平等院の後ろには、高い堤防が連なっており、庭園は閉ざされた空間になっているが、この堤防は秀吉が宇治川治水のために築いた堤の一部をなすものと考えられ、それ以前は、境内は宇治川の川岸まで続いていた。藤原定頼(九九五~一〇四五)の和歌に「世のなかをうぢ川辺の水車かへるをにるに袖の濡れつつ」とあり、平等院創建以前から宇治川の水車が存在していたことがわかる。兼好法師(一二八三?~一三五二?)の五一段には、水車を造る達人として「宇治の里人」取り上げられている。水車は宇治川の名物と言ってもよいものであった。
両今様とも、最終句には、鳥や虫が取り上げられている。蝶や小鳥がひらひらと飛ぶ様子、蟷螂が鎌を振り上げてゆらゆらと前後に揺れ、他者を攻撃しようとする様子、蝸牛が殻から身を出し入れしたり、触覚を動かしたりする様子をそれぞれ「舞ふ」と表現したものであろう。全体として、大きくゆるやかな円環運動を構成するものから、より微細で複雑な(予想しにくい)動きをするものへ、緩やかにその対象が移っているように思われる。「いぼうじり」は「いぼむしり」が変化したもので、かまきりの異称。かまきりの鎌で疣を刈らせるようにさせると、疣がきれいにとれるという俗信からの名らしい。
蟷螂については、『新猿楽記』に「蟷螂舞」という芸が見えるほか、室町時代にいたっても「蟷螂の能」「蟷螂の真似」といった芸能があったことが知られる。太極拳にも「蟷螂拳」という型があり、蟷螂の動きを模倣することの、時間空閑を越えた普遍性が窺われる。
蝸牛については「舞へ舞へ」と囃し立てる今様(→四〇八)もある。