9月16日(水)

朝から雨、ずっと雨。

このところ涼しくなりしは秋になりやうやう木の葉も色づきにけり

なんとなく涼しくなれば心地よく歩くにも少し張り合ひがある

わづかなるが黄落する葉を避けてゆく歩きゆくにも気をつかひながら

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『孟子』尽心章句下254 孟子曰く、「近くして遠き者は、なり。守ること約にして施すことき者はなり。君子の言や、帯を下らずして道存す。君子の守りは、其の身を修めて天下平らかなり。人其のをてて人の田をるをとす。人に求むる所の者重くして、自ら任ずる所以の者軽ければなり」

君子が守り行ふは修養するのみそれで天下が大平になる

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

あしびきのわがすむ山は近けれど心とほくもおもほゆるかな

【評言】これはまだ山上の庵にいた頃の作であろう。托鉢にでも出て、どこかあまり遠くないところの村の家に泊まってでも居た時よんだのかも知れぬ。人里に出てわが住む山をおもうて見る道のりではそう遠くもないのだが何となく遠い遠い処のような気がするという言葉のうちには、浮世離れた自分の生活に今更のように驚いて居るような気持も含まれている。と同時に、何ということなしにそうした世外の生活を営んでいる我自らをさびしむような気持も感じられぬでもない。

9月15日(火)

朝は雨だったが、曇りになる。

気がつけば全身包帯に巻かれたりエジプトのミイラのごとく動けず

口も鼻も耳も包まれ身動きできず人呼ぶことも不可能にして

ミイラのごとく叫べず動けず墓場にて棺の中に納められたり

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『孟子』尽心章句下253 孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心をさば、仁げて用ふ可からざるなり。人能くする無きの心を充さば、義勝げて用ふ可からざるなり。人能くを受くる無きの実を充さば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言ふ可からずして言ふ、是れ言ふを以て之をるなり。以て言ふ可くして言はざる、是れ言はざるを以て之をるなり。是れ皆の類なり」

言ふことにより気を引くまた言はぬことで気を引くいずれも盗人のごとし

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

わがやどは国上やまもとこひしくばたづねて来ませたどり〳〵に

【語義】「たどり〳〵に」は「たずねさがしたずねさがして」というほどの意。

【評言】これは晩年山を下って山麓乙子神社境内の草庵に入ってから友人にでも贈った歌であろう。「たどり〳〵に」の結句が一首全体に響いている。

9月14日(月)

晴、晴れ。そして曇り。

密教のはどこかしくて動きだすごとく立ちあがらむか

上野の博物館はいま密教の聖地なり庶人来りてまた去りてゆく

公園の大木の影を頼りつつ歩くに汗はしとどに滲む

上野より海老名へもどり無花果ののごときをねぶらんとする

半分の月の明らかある夜にしてわがたましひのゆくへ知れず

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『孟子』尽心章句下252 孟子にき、にす。に有り。館人之を求むるも得ず。或ひと之を問うて曰く、「のきか、従者のすや」と。曰く、「は是れをむが為に来れりとへるか」と。曰く、「どなり」と。「れのを設くるや、往く者は追はず、来る者は拒まず。も是の心を以て至らば、に之を受くるのも」と。

履を廋す不心得者がいるとすればそれもよきもの引き受けるべし

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

松の尾の松の間をおもふどちありきしことは今もわすれず

【語義】「松の尾」は越後西蒲原郡にある村の名。〇「松の間」は「松の木の間。」〇「おもふどち」は「仲のよい友達」。

【評言】この歌を良寛が十五、六歳の少年の頃地蔵堂町の狭川塾にいた頃の追憶であるように云っている人もあるが、地蔵堂と松野尾村との間はかなりの道程である上に、松野尾は特別に遊びに行くような場所でもないから、その推定は俄に同意し難い。しかし、とにかく、ずっと以前の事をおもい出してなつかしんだ歌であることだけはたしかである。あるいは晩年西蒲原郡を去ってから後老衰の為めにあまり遠出をすることが出来なくなってからの作であるかも知れない。いずれにしてもさらさらと何のこだわりもなく歌い放っていてしかも綿々尽きない情味のこめられている歌い方に心惹かれる作である。

9月13日(日)

曇り、やがて晴れるらしい。

印を結ぶ大日如来坐像、宇宙の中心なり。平安なる顔

愛染明王坐像の第二手はに弓取り天を射たまふ

のつるぎにからむ龍のかたち怖ろしきもの三毒を破る

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『孟子』尽心章句下251  斉に仕ふ。孟子曰く、「死なん、盆成括は」と。盆成括殺さる。門人問うて曰く、「夫子は何を以て其の将に殺されんとするを知るか」と。曰く、「其の人とりや、少しく才有り。未だ君子の大道を聞かざるなり。則ち以て其のを殺すに足るのみ」と。

孟子いふ盆成括は死ぬものとその人と為りは小才なれば

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

手ををりて昔の友をかぞふればなきはおほくぞなりにけるかな

【語義】「手ををりて」は「指を折りて」の意。〇「昔の友」の「昔」は年久しき以前。

【評言】平明この上もない歌であるが、「なきはおほくぞなりにけるかな」は余情のつきない表現である。

指折りて少なき友をかぞふればほとんどが死す寂しきものよ(これオレ)

9月12日(土)

雨、曇り。

宮中から出ることになりしの、・なり

内陣東壁に胎蔵界曼陀羅、西壁に金剛界曼荼羅掛けてぞ祈る

の直刀をもてわが邪悪なるものを退け煩悩砕く

    *

『孟子』尽心章句下250 孟子曰く、「諸侯の宝はあり。土地・人民・政事なり。を宝とする者は、必ず身に及ぶ」

諸侯の宝は三つ土地・人民・政事なり。珠玉を宝とすれば必ず滅ぶ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

此のくれのうらがなしさに草枕旅のいほりにはてし君はも

【語義】「此のくれの」は「この夕ぐれの」の意であろう。〇「草枕」は「旅」の枕詞。

【大意】さらでだにこの夕暮の心悲しいのに親しくみとりするうからも居ない旅のやどりで死んだと聞くのは、まあ何たる悲しいことだろう。

【評言】「幼き頃より寝もごろに語らひし人ありけり、田舎を住みわびて吾妻の方へいにけり、此方よりもかなたよりもひさしくおとづれもせでありしに、この頃みまかりぬときゝて」という詞書のある二首中の一首である。平凡な表現であるが真情がこもっている。これが世を棄てて居た良寛の歌だとおもうと一層なつかしみが湧くのである。

9月11日(金)

雨、曇り。

の人身象頭の男女二神抱き合ふなり。淫蕩なりき

図像の腕にからむ蛇体、髑髏の首輪なんとも不気味

・梵天・帝釈天()かくも小さく微細なりけり

    *

『孟子』尽心章句下249 孟子曰く、「の・の征・の征有り。君子は其のを用ひて、其の二をくす。其の二を用ふれば、民に有り。其の三を用ふれば、父子離る」

税の取り方に注意すべき布縷の税・穀物の税・勤労奉仕一つ二は緩くすべし

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

この里のゆきゝの人はさはにあれど君しなければさびしかりけり

【語義】「さは」は「多く」。〇「君し」の「し」は君ぞと特に指して云う天爾波。

【大意】これは「ともがきのみまかりしころ」と詞書のある一首である。この里の路上には往来する人が沢山あるがあの人が居ないのでさびしい。

【評言】誰にでも詠めそうな歌であるが、ここまで生一本に歌える人は少ない。こんなことを云って歌になるだろうかなどというような見えや屈託があっては、とてもこうした純情な歌は出来ない。しかも「この里の」という第一句、「君しなければ」という第四句などには、やはりちゃんと締まりがついている。

9月10日(木)

曇りにはじまり、少し雨。この後どうなるのだろう。

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丸谷才一『今は何時ですか?』、標題作を含め短編集。遺作になる「茶色い戦争ありました」も収められて丸谷らしい理知の効いた小説ばかりだが、田舎じみた抒情小説を愛するものとしては、作品に没入できなかった。いや、それこそ狙いなのかもしれない。

後宇多天皇晩年のに手形あり。朱の色をしてなまめかしきよ

香川・願興寺に収めらるる聖観音坐像よ。よき表情なり

醍醐寺の閻魔大王・錫杖の頭頂部位にふくよかなる顔

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『孟子』尽心章句下248 孟子曰く、「を逃るれば必ずに帰し、楊を逃るれば必ずに帰す。帰すればに之を受けんのみ。今の楊・墨とずる者は、を追ふが如し。既に其のに入れば、又従つて之をぐ」

墨・楊の学派、その後はわが儒なりそのまますなほに従へばよし

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

雪のふるを見て主人にかはりて

しらゆきは千重に降りしけわがかどにすぎにし子らが来るといはなくに

【語義】「千重に」は「幾重も幾重も深く」というほどの意。〇「降りしけ」は「降り敷けど」の略。〇「過ぎにし」は「逝きにし」。〇「いはなくに」の「なくに」は「ぬに」の意のそれでなくして、「まくに」と同義のそれである。こうした言い方は「万葉集」など沢山ある。例えば

草枕旅のやどりに誰が嬬か国忘れたる家待なくに(巻三)

をつくばのしげき木の間ゆ立鳥のめゆかなをみむさねざらなくに(巻十四)

おもはずもまことありえむやさぬる夜の夢にも妹が見えざらなくに(巻十五)

庭にふる雪は千重しくしかのみにおもひて君をあが待たなくに(巻十七)

の如きであっていずれも「なくに」は「まくに」と解すべきである。

【大意】白雪はどんなに深く一面に降り積もったとて家の門口に死んだ子どもたちが来るといおうものを。

【評言】この歌は前に引用した「万葉集」の「庭にふる雪は千重しく……」から多少の暗示を得ていることは明らかであるが、しかもそれは全く独立して胸にしみ入るような真情を歌っているのは驚嘆に値する。雪のふるのを見て一人ならずも愛児を失ったその家の主人の心を察して詠んだ歌として見ると、一層深く作者その人の感情の温かさとこまやかさとに動かされる。死んだと知りつつも折にふれ時によりて門口に今もわが子は帰って来はせぬかと果敢ない待たれ心になるのは、愛児を失った人の誰しも切に経験するところである。そうした親心のせつなさを世俗人の良寛がかくも適切に察しかつ抒べ得て居るとは、全く驚くべきことである。表現の技巧から云ってもこの歌はいかにもよく万葉の精神に到入して、しかもそれに囚えられず自己のものとして活かしている。亡き愛児の来はせぬかと待つ親心と、白雪のふりしきる景色とがよく調和して、そこに一種神秘の感をさえ漂わせているのもゆかしい。