朝、ちょっと雨。その後曇りから晴れの予定。
権力を持つものはその権力の力を忘れ横暴になる
横暴になるは駄目だと思へども権力を持てば何も見えず
人の目を曇らせる権力そのことに気づかぬものが権力者なり
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日夏耿之介『唐山感情集』
たをやかなです
くれなゐの錦をあつめ
たをやかながぼんやりと考へごとしてゐる、
典籍をいて香のついた手をはうとする、
人になづんで言葉少なに衣をひく所作なんどするネ、
左公が詩さながらぢやて。
薔薇 嬌女也
紅錦を攅め、
嬌女依稀を想う、
巻を展じ有香盥手を思う、
人に昵み語なく衣を牽く事をなす、
恰も左公の詩に合す。
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
なるの沼にすむ鳥もはがひかはしてゐるてふものを
【語義】「越路」は「越の国」、ここでは越後を指す。〇「三島」は越後の三島郡。良寛の出生地出雲崎も遷化地島崎も共にこの三島郡に属する。〇「はがひ」は「羽交」で、鳥の左右の翅を打ち交えたる所。
【大意】越後の三島郡の沼に棲んでいる鳥さえも雌雄翅を相交えて寝るというのに、自分はまあ何という孤独な境涯にあるのであろう。
【評言】これは必ずしも良寛が男女双棲の生活のみに思いを寄せて身の孤独を嘆じたのでないであろう。けれどもまた時にそうした悲哀を自らに対して感じたことがったからとて、決してそれは良寛の徳を傷けることなどにはならない。もしこうした歌のあるのを以て良寛に生臭いところがあったなどという人があるなら、それはもうとてもお話にならぬ浅薄な心の持主である。私達はむしろこうした歌があるところに、良寛のいいところがあるのだと思っている。こうした歌を純真にうたい得たところに、むしろ良寛の心の清さが一層高められているのではないか。なおこの歌を技巧の上から見る場合に、「越路なる三島の沼に」の二句の具体的な表現に一首の生命のかかっていることを見のがしてはならぬと思う。