9月6日(日)

朝から雨。今週いっぱい雨予報。

鈴木エイト『アンビバレント 山上徹也が私だけに明かした謎の核心』了。奈良地裁で開かれた山上徹也をめぐる公判情報と著者の解釈に説かれた書籍である。山上徹也を、そう単純な安倍晋三殺害犯とは思っていない私には興味深いものであった。いうとおり安部は殺されるべくして殺されたのだ。単純犯ではない。理由があるのだ。上告をしたそうだから高裁ではもっと正しく戦ってほしいし、裁いてほしい。世界救世教は、もともと酷い、だめなのだ。そこに選挙の糧を求めた安部も絶対にだめなのだ。殺されて当然なのだ。

蟬の命は短きものを精一杯梢に鳴きて命果てなむ

命の際にマンションの廊下の九階に仰向けの蟬まだ生きてゐる

いつのまにか蟬穴ぬけて成虫になりしか、枝に盛んに鳴けり

    *

『孟子』尽心章句下244 曰く、「禹のは、文王のにれり」と。孟子曰く、「何を以て之を言ふや」と。曰く、「のせるを以てなり」と。曰く、「是れぞ足らんや。城門のは、の力ならんや」と。

禹王の鐘は文王よりも千年以上古いから優劣の差なくただ自然なり

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

神無月の頃、蓑一つ着たる人の、門に立ちて物乞ひえれば、古ぎぬ脱ぎすてゝとらせぬ。其夜嵐のいと寒く吹きたりければ

いづこにか旅寝しつらむぬば玉の夜半のあらしのうたて寒きに

【語義】「神無月」は旧暦十月の称。〇「ぬば玉の」は「夜」の枕詞。〇「うたて」は常ならぬに云う語。「あまりに」「非常に」などの意。

【大意】あの人はどこへ行って泊ったであろう、このまあ夜更けの風の非常にさむいのに。

【評言】総じて良寛の歌は一方閑寂に徹し、現世遠離に沈潜した静かな安らかなたましいの表現によって、乱れ易く迷い易い私達の心に尊い静めと浄めとを与えてくれる作品が多いと共に、更に一方にはそうした清い静かなたましいから湧き出た純真な人間愛の表現によって、濁り易く荒みやすい私達の人間性に、尊い浄めと静めを与えてくれる作が多いのである。この歌の如きはその後者の代表的な一首である。良寛の生活は文字通りに無一物の生活であった。一生涯寺院など持たずあちこちの空庵を求めて、そこを居場所として托鉢の生活をつづけていた。しかも、そうした貧しい彼の庵へすらも物乞いに来るような人があったのである。けれども、和尚には与うべき何一つの余裕もなかった。それにも拘わらず、彼はそのあわれな人をそのまま通り過ぎさせるに堪えなかった。「古ぎぬ脱ぎすてゝとらせぬ」――と無造作に云ってのけてあるその簡単な言葉のうちに何という尊い温かい心のこめられていることであろう。旧暦の十月といえば、越路はもう雪の来べき時である。冬ごもりの用意をいやが上にも厳重にして置かねばならぬ時期である。その上、和尚はその頃は既に七十歳に近い老衰期に入っていた。老の身に染む冬の寒さの如何なるものであるかは、彼にはいやが上にも切実に感じられていたにちがいない。それにも拘わらず、和尚は惜気もなく自分の着ていた着物を脱いでそのあわれな人に与えたのであった。しかも、夜更けて強い風の吹き出したにつけて、このような歌をよまずにいられなかったほどに、心は専ら、かの漂泊者の身の上によせられていたのである。その場合の彼にとりては、自身の寒さなどは顧る心もなかったたのであろう。全く涙ぐまずにいられない有難い歌である。表現にいささかの誇張もなく感じたままにしみじみと抒べているところに一層の真実味が感じられる。

9月5日(土)

朝は雨、そして曇りへ。しかし涼しい、寒い。

太陽が欅のかげにむきだしの光りを発す真っ青な空

午前五時半すでに太陽あかるきにまぶしきばかりひむがしを向けば

青空には夏雲高く涌き出でてあああかるきばかりぞわれたちどまる

    *

『孟子』尽心章句下243 孟子、に謂ひて曰く、「の、くとして之を用ふれば、を成す。く用ひざるをせば、則ち之をぐ。今や茅、の心を塞げり。

高子よ、しばらく学問を怠っていたからこそおまヘの心を塞いでしまへり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いつ〳〵と待ちにし人は来たりけり今はあひ見て何かおもはむ

【語義】「いつ〳〵とは「いつ来るかいつ来るかと」の意。〇「何かおもはむ」は何かおもおう、何ももう思い残すことはないの意。

【評言】これは貞心尼が始めて最後の病床に横わっていた良寛を見舞うた時、彼の喜んで詠んだ歌である。貞心尼は『蓮の露』で「かくしてしはすの末つかた俄に重らせ玉ふよし人のもとよりしらせたりければ、打おどろきて急ぎまうで見奉るに、さのみ悩ましき御けしきにもあらず、床の上に座してゐたまへるが、おのれがまゐりをうれしとやおもほしけむ」と前書きが添えてある。上句にはたまらない嬉しさが満ちあふれている。「来たりけり」でその嬉しさが絶頂に達している。そして上句で一旦切れて更に下句でほっと安心した後に来る茫然に近い心の弛みがそのまま太息の如くうたわれている。心理作用のリズムさながら一首の調子の上に現れているではないか。

9月4日(金)

曇り、曇り。そして雨。

太陽は雲の中にておぼろなり位置は分かれどどこか頼りなし

太陽のひかりを目指し歩み来るされど太陽おぼろげなりき

水たまりに映らぬ太陽のおぼろけなりこのまま曇りか残念ならむ

    *

『孟子』尽心章句下242 孟子曰く、「賢者は其のを以て、人をして昭昭たらしむ。今は其のを以て、人をして昭昭たらしめんとす。

賢者の今昔。昔は自らの徳により人を明らかにす。今の為政者はただ暗愚なり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

梓弓春になりなば草のいほをとくでゝきませ逢ひたきものを

【語義】「梓弓」は「春」の枕詞。

【評言】この一首は良寛が最後の病床にあって貞心尼に贈ったうたであるが、切なる情に堪えかねた心がさながら溢れ出ている。殊にその結句にはたまらなく引きつけられる。この結句についてはかつて斎藤茂吉氏が「「逢ひたきものを」という結句は古今独歩である。予は古歌を味うに際して常に結句に注意し、自ら作歌するに際しても一番結句に焦心している。而してこの歌の結句ほど利いている、換言すれば一首に響き渡る結句は稀有である事を発見している故に、この歌を誦する毎にこの結句を涙を流して恭敬するのである。難有くも何有き結句である」とまで讃嘆している。私もそれ以上つけ加える言葉がない。

9月3日(木)迢空忌

けっこう涼しいが、やがて暑くなる。

雨あれば泥濘の公園に入りがたく日は登るなり水たまりに映る

小だまりのそれぞれに青き空映しどの水たまりも履み越しがたく

まだ生きているみみずのたうち迷動す雨にふられて肉色白く

    *

『孟子』尽心章句下241 曰く、「大いに口に理あらず」と。孟子曰く、「むこと無かれ。士はになり。詩に云ふ、『たり、にらる』とは、孔子なり。『にのをたず、のをさず』とは、文王なり」と。

孔子や文王さへもが悪口をいはれるましてやをして

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いざさらばわれはかへらむ君はこゝにいやすくいねよ早あすにせむ

【語義】「いざさらば」は「さあそれでは」。〇「いやすく」の「い」は意味のない発語。〇「早あすにせむ」は「もう今夜はこれだけにしてあとは明日のことにしよう」。

【評言】これも弟子貞心尼に贈った歌である。貞心尼というのは、もと越後長岡の藩士奥村某の女で、長じて同国小出の医師某に嫁したが、幾年ならずして夫に死なれたので、深く人生の無常を感じついに柏崎町洞雲寺泰禅和尚に従って剃髪を受け、後同地の不求庵に住して居たが、明治二十五年二月十日七十五歳で世を去った。貞心尼が良寛の高徳を慕うて教を乞い始めたのは、良寛の七十歳の時、彼女の二十九歳の時であった。爾後六年禅師終焉の際まで繁く往復して教を受けた。良寛とこの若き女人貞心尼との交情の如何に清く尊く且あたたかなものであったかは、貞心尼の手録『蓮の露』に収められた二人の贈答歌によっていみじくも伝えられている。この「いざさらば……」の一首はある時与板という町の某家で二人遇って日の暮れるまでも語り合った折に、「日も暮れぬれば宿りにかへり又あすこそとはめ」とて良寛が自分の宿に帰ろうとして詠み与えたものである。この歌につづいて『蓮の露』には左の如き歌が録されている。

あくる日とく訪ひ来玉ひければ

うたやよまむ手まりやつかむ野にやいでむ君がまに〳〵なしてあそばむ 貞心

御かへし

うたもよまむ手毬もつかむ野にもいでむ心ひとつを定めかねつも    良寛

何というあどけない清い温かな交りであったろう。しかもそれは七十四歳の老法師と三十三歳の若き尼とであったのだ。

(いやいやあたりまえの話ではなかったのだろうか。わが身をふりかえっても七十では、もう役にたたないのだ。)

9月2日(水)

朝は涼しい。しかし湿度が高いし、昼には30℃を越すらしい。暑くなるのだ。

蟬二匹。平常のままの格好し死ににけるなり粛然として

みみず二匹のいまだに動く蠕動のはげしくあれば死も遠からず

蟬もみみずもいや果てにしてかたち保つされど死といふもの避けがたく

    *

『孟子』尽心章句下240 孟子曰く、「君子の・のにするは、の交はり無ければなり」

孔子が陳・蔡あたりでんだのは悪人ばかりに交はる人無し

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

身をすてゝ世を救ふ人もますものを草のいほりにひまもとむとは

【語義】「身をすてゝ」は一身を犠牲にしての意。〇「ますものを」は「いますものを」で「いるというのに」というのを更に敬意をこめて云ったのである。〇「もとむとは」は「欲しと求めているのは何事ぞ」というほどの意。

【大意】世間には一身を犠牲にして天下を救おうといていなさる人もあるというのに、徒に草庵裡に無為の時を欲し求めているというのは何ということだ。

【評言】この一首は良寛が最愛の尼弟子貞心に贈って、ともすれば弛緩せんとする修行の心を警めた歌である。一身を犠牲にして天下を救おうとする人とは如何なる種類の人を指して云ったのかわからぬが、良寛の父以南が勤王の志を抱いて他国に放浪し、遂に京都の桂川に身を投じて死んだと伝えられている事実や、また彼の時代における天下の情勢などを察すると、この一首を詠んだ彼の心もほぼ推しはかられるような気がする。いずれにしてもこの一首は一面において弟子への警告であったと同時に、他面においてそれは彼みずからに対する自省の鞭でもあったことは疑を容れぬ。こうした歌を見ただけでも良寛が決して好い加減なのんき坊主ではなかった事はわかるのである。

9月1日(火)関東大震災の日である。

割合涼しいが、どうだろう。

泥濘の外側歩けば金属製の蓋が隠せるどぶ泥の上

金属製の溝に被せる蓋を歩む足もとままならず身体傾く

回りには昼顔の花咲きにけむちょっと歩とどむ蓋の上ゆく

    *

『孟子』尽心章句下239 孟子曰く、「孔子の魯を去るや、曰く、『として吾行く』と。父母の国を去るの道なり。斉を去るや、を接して行く。他国を去るの道なり」

すべて時のよろしきに従ふ孔子なり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いかにしてまことの道にかなひなむ千とせのうちのなりとも

【語義】「かなひなむ」の「なむ」は願望の「なむ」とすると、文法上「かなはなむ」でなければならぬ。即ち合致したいのだの意。

【大意】どうかして人間としての本当の道に合致したいものだ。せめて千年のうちに一日たりとも。

【評言】ながい年月の間の苦しい修行精進によって常人の企及しがたい大悟の境地まで到入していたように見える良寛にして、なお且この自責があった。涙ぐましいまでに尊い歌である。良寛が決して所謂生悟りの好い加減な自満自足の人で無かったことがこの一首によっても窺われる。この悩み、この反省をもちながら、しかも聊も乱れず騒がなかったところに、良寛の安心の尊さがあったように思われる。座右銘として置きたい歌である。一首の歌が厳粛な心の調べを以て貫いている。良寛にはこの外に「何故に家を出でしと折ふしは心にはぢよ墨染の袖」という歌もある。

8月31日(月)

曇り空なれど、雨ではない。朝は涼しい。

葉室凛『柚子の花咲く』、いい話だった。手に汗する展開、心地よい顛末であった。

遠くの芝の傾斜地に茶色の牛のあまた群れをり

あの牛の乳をしぼるかソフトクリーム蕩けさうなり殻まで喰らふ

    *

『孟子』尽心章句下238 孟子曰く、「仁は人なり。して之を言へば道なり」

仁の徳とこれを行う人合はせてこれを道といふ

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

ありそみの上に朝ごと立つ市のいよ〳〵行けばいよ〳〵にけり

【語義】「ありそみ」は荒磯海である。「幻達婆城」は仏語で蜃気楼のことだという。『仏教辞林』に「乾達婆城、尋香城と訳す、竜神が空中に示現する城郭にして即ち蜃気楼なり」とある。〇「立つ市」の「立つ」は虹が立つなどというと同じく「現れる」の意で、市は市街である。

【評言】これは宇宙の真理とか人生の理想とかいうものの捉えがたき悩みを象徴的に歌ったものである。吾々は宇宙人生の究極の真理を捉えんとして日夜修行し精進しているが、しかし考えて見るとそれは恰も波荒き海のあなたの空に毎朝現出する蜃気楼のごときものでそれに近づこうとして行けば行くほどますますうすれ消えて行ってしまって、ついに何ものをも補足することが出来ないのである。この一首には実に真摯な求道者としての深い悩みがこめられている。良寛の心の奥深い一面を知る上に大切な歌である。比喩でもなく理屈でもなくたださながらに蜃気楼そのものの現象を歌っている点がこの歌を象徴的ならしめている。「いよ〳〵行けばいよ〳〵消にけり」の表現もいい。