いい天気だ。なんとなく久しぶり感あり。
曼殊沙華萎えて花垂るひとところさびしきものよ秋すぎにけり
わが視野にテロリストあり倒したき幾人がゐるこの目の先に
世界とは常にどこかで戦乱の止むことのなきやるせなきもの
*
日夏耿之介『唐山感情集』
学あるです
風が空吹きめぐり
学あるひと自然の香をにほはす
大小の山々に招隠ノ士が多くあらはれて、
美しくすんなりした人もとなるさわぎ。
なゝめに玉犀黄をはさんでをるが。
桂 文女也
天風撓り、
文女天香散ず
大小山馨招隠の士
娉婷の人探花郎たり、
斜めに玉犀黄を挿む。
*
相馬御風編注『良寛和尚歌集』
あしびきの山田の案山子なれさへも穂ひろふ鳥を守るてふものを
【大意】山田に立っているあの馬鹿げた格好につくられた案山子よ、そなたさえも稲の穂をとりに来る鳥の見張番をして農作物守護の役目をつとめているのに、このわしはまあ一体何の役に立つというのだ。
【評言】自責の歌である。時には「山かげの岩間をつたふ苔水のかすかに我はすみわたるかも」の安住を歌い、時には「この宮のもりの木したにこどもらとあそぶ春日はくれずともよし」の優游境をうたった良寛にも、時にはこうした胸を貫くごとき自責の悩みがあったのだ。この歌においても、それが切実に胸に響いて来る所以は、それが山田に立てる案山子に対しての個的実感を通して歌われているからである。こうした感情も単に抽象的に歌ったのでは、よしその感情が自己にとりて切実であっても、歌に現れた効果はとかく稀薄になり勝ちであるのは明らかである。