朝から微雨、もう少しで曇り空になるらしい。
「出ただええ、幽霊だあ」、「おッさん、蛇、蝮?」、「そげいなもんじゃねえだア」
糸塚
散々に甚振られ倒され無惨なる碑を雁字搦めに緊縛したり
嘴太鴉も嘴細鴉も夕べ暗くなれば千ヶ淵の深き森へ帰りぬ
『孟子』万章章句上124 万章問うて曰く、「詩に云ふ、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ』と。斯の言を信ぜば、宜しく舜の如くなること莫かるべし。舜の告げずして娶るは、何ぞや」と。孟子曰く、「告ぐれば則ち娶ることを得ず。男女室に居るは、人の大倫なり。如し告ぐれば則ち人の大倫を廃し、以て父母を懟みん。是を以て告げざるなり」と。万章曰く、「舜の告げずして娶るは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。帝の舜に妻はして告げざるは、何ぞや」と。曰く、「帝も亦告ぐれば則ち妻はすことを得ざるを知ればなり」と。
舜が父母に告げず娶る、尭が娘を父母に告げざるは告げれば妻はすことを得ず
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
万を有漏と知りぬれば 阿鼻の炎も心から 極楽浄土の池水も 心澄みては距てなし
(法文歌・雑法文歌・二四一)
【現代語訳】すべては煩悩のなせることと知ってみれば、阿鼻叫喚の炎で身を焼かれる苦しみも、わが心のせいなのだ。一方、極楽浄土の池水の清らかな救いも、わが心が澄んでいるならば、すぐ近くにあるのだよ。
【評】地獄の苦しみも極楽の救いも、自分の心ひとつなのだとする法文歌の最終歌。
「有漏」はけがれや迷いを持つことで、「無漏」の反対語。「阿鼻」は「阿鼻地獄」のこと。「無間地獄」とも言い、八大地獄のうち最も下に位置し、(極悪人が堕ちるとされる。
『阿弥陀経』には、極楽の七宝の池に八功徳水(八つのすぐれた美点を持つ水)のあることを説き、『梁塵秘抄』にも「極楽浄土のめでたさは 一つもあだなることぞなき 吹く風立つ波鳥もみな 妙なる法をぞ唱ふなる」(→一七七)とあって、極楽の池の波が尊い法文を唱えているとする把握が見られる。当該今様では、特に阿鼻地獄の熱い炎に対して、極楽の涼しいさわやかな水を対比させたものであろう。「水」からは「澄む」の語が容易に連想されるため、「心澄みては」の句とのつながりも自然である。