暑い中を強羅へ。岡田美術館なかなかだ。
破れ煎餅と濡れ煎餅どちらもわれの好みなりけり
感触が天と地ほどに違ひあるされどどちらも煎餅なりき
ぽりぼりと固き煎餅齧りつつ柔らき濡れ煎餅妙になつかし
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『孟子』尽心章句上198-2 の宅、にうるに桑を以てし、匹婦之に蚕すれば、則ち老者を以てをるに足る。、、其の時を失ふこと無ければ、老者以て肉を失ふこと無きに足る。の、匹夫之を耕せば、の家、以て飢うること無きに足る。所謂善く老を養うふとは、其のを制して之にを教へ、其の妻子を導いて、其の老を養はしむればなり。五十は帛に非ざればかならず。七十は肉に非ざれば飽かず。かならず飽かざる、之をと謂ふ。文王の民には、の老無しとは、此の謂なり」
文王の民には凍えたり飢うる老人なし「凍餒の老無し」とはこれを謂ふなり
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
五月雨のはれまにいでゝながむれば青田すヾしくなりにけるかも
【大意】幾日となく降りつづいていた雨の為に閉じこめられて、久しく里へも出ずにいた。老杉の群立つ暗い森かげの孤庵に、昼となく夜となくただ独り雨の音をのみ聴き暮していた幾日かのいかにわびしかったことよ。
【評言】「青田すヾしくなりにけるかも」と云う単純な表現は、何という純真な驚きと歓びの叫びであろう。「いでゝながむれば」もよくきいている。いかにも「いでゝながむれば」こそである。「いでゝ」がいのちである。「いでゝ」はしかし田圃中へ出て見たの意ではなかろう。「庵を出て眺めて見ると」ぐらいの意であろう。この歌の下句を「青田すヾしく風渡るなり」とした良寛自身の墨蹟もあるが、私はどうも「なりにけるかも」の方が快くうけいれられる。