朝、ちょとのあいだ曇りだったが、やがて雨。今日は一日雨だ。
芦沢央『夜の道標』読了。起点は塾経営者の殺人である。きっかけは旧優性保護法だ。犯人は子どものできない身体である。その理不尽が殺人につながるが、匿ってくれた同級生とのセックㇲはどこにもはけ口がないので、ある意味すごい。橋本波瑠くんや仲村桜介などの登場もあって、錯綜して進むのだが、刑事たちも、人間の絡み合いがなんとも面白い小説であった。
夕暮の透明感のある雲を見上げてあれば心あくがる
澄明なる夕べの雲を見つつをればこの深桃の色浄土なるかも
西方に浄土あるかも山々のつらなりの涯てあかねに染めて
『大学』第二章 四 子曰く、「訟を聴くは吾れも猶人の如きなり。必ずや訟なからしめんか」あと。情(誠)なき者にはその辞を尽くすを得ざらしめ、大いに民の志を畏れしむ。此れ本を知ると謂ふなり。
かくのごとく意年を誠実に努むるを根本を知るものとこそ言へ
前川佐美雄『秀歌十二月』五月 与謝野鉄幹
大名牟遅少那彦名のいにしへもすぐれてよきは人妬みけり (歌集・相聞)
前の歌と並ぶすぐれた歌である。古い神代のむかしから、ずば抜けてすぐれた人間はかならず人からねたまれるものだというので、これは鉄幹自身の経験する苦渋の思いを歌ったのであろうが、歌そのものはまるでひとごとのような口つきで、人の思いに似合わせて作っている。概念的な、抽象的な歌ではあるけれど、そういうことに頓着しない。すぐれた歌はそんなあれこれにかかわらず、もっと大きい立場からそれら全体をひっくるめて自家薬籠中のものにするすべを知っていた。晩年の斎藤茂吉が同じ傾向をたどっていたと釈迢空が語っていたが、その迢空の晩年がまた同じ傾向をたどっていたのは、私にたいへん興味があった。
(略)以後の鉄幹はしだいに歌壇とはなれ、歌壇とはほとんど没交渉になってしまった(略)けれども鉄幹は作っていた。みずからを高く持して作っていたのだ。それらはおびただしい数にのぼるはずだが、正当に評するものさえなかった。ただし晩年の北原白秋はよいとほめていたし、同じく吉井勇もすぐれた作だといっていた。師恩を思うからではあるまい。まことにそのように思いこんでいたようである。『相聞』以後何万首あるか知らないが、秀歌を求めて私はしらべなければならぬ責務のようなものを感じる。